~悪口~

2020年6月

 弊社の行動指針に「非難、悪口は己の不運を招くと心得ます」というのがあります。弊社の行動指針はすべて私が私自身の悪癖を改めるべく、戒めとして作ったものです。この指針は私が自分の悪癖として最も反省しなければならないものの一つです。

 私のサラーマン時代は上司や会社の批判、悪口を言いながら同僚や部下とお酒を飲むのが、最高の楽しみでした。そしてそれは社長となった今でも妻を相手に続いています。サラリーマン時代は会社や上司の批判、悪口でしたが、社長となった今は行政や身内の批判に変わりました。変わらないのは酒を飲んでいることです。妻に指摘され、本当に悪い癖と反省するのですが、酔いが回ると時々やってしまいます。非難し悪口をさんざん言ったあとは、すごく気分が悪くなります。それだけではありません。そのあと、必ず運に見放されたとしか言いようのない予期せぬ不都合が襲ってきます。きっと宇宙の法則か、天罰なのだと思います。

私の周りにも、いつも悪口を言いまわっている人がいます。彼らを見ていて、また悪口を聴いて、良い気持ちになったことは一度もありません。いやぁな気持ちになるだけです。それに対して何年も何十年も付き合っている人の中で、一切悪口を聴いたことのない人がいます。それらの人といると、とても良い気持ちになり安心と信頼を感じます。それが分かっていながら、なぜ私はそれをやめられないのか、いや止めようとしないのか。 アルフレッド・アドラーの言葉にそのヒントを見つけました。「人生に革命が起きる100の言葉」より

“劣等コンプレックスとは劣等感を言い訳にして、人生の課題から逃げ出すことを言います。しかし、その際に、自分が劣等感を感じていることを正直に表明するとは限りません。いやむしろ「そんなことはない。自分はむしろ人よりも優れている」と優越をアピールする人が多いことでしょう。これこそが「優越コンプレックス」であり、それは形を変えた「劣等コンプレックス」の一種なのです。本当に自信のある人はそれを誇示する必要がありません。優越のアピールは劣等感の裏返しなのです。優越コンプレックスを持っている人は、自分が本当に強く「なる」ための努力をしません。そうではなく強く「見える」ように努力するのです。そして以下のような行動を頻繁に行います。外見を着飾る、女性なのに男性にように振る舞う、自慢する、人をバカにしたような態度をとる、弱い人に威張る、他の人の価値を下げるよう批判する、大声や大きな身振りで話す、会話を自分に向けようとする、人の話を聞き流す・・・など。これらの行動は「強い」からするのではありません。強く「見える」ことに努力を傾けている。そして、その背後には強い劣等感が隠されているのです。”

 人生の課題から逃げ出していることはないと思いますが、ある種の劣等感があることはアドラーの指摘した通りだと感じています。「思い通りにならないこと」こそがこの世で最も価値あることだと頭では理解していても、心のどこかには、やはり思い通りにならなかったことへの劣等感があるのだと思います。あの時、ああすればよかった、こうすればよかった、と思うことはよくあります。それこそがまさに劣等感そのものなのです。それは過去のことで、過去には戻れないわけですから反省材料としても、後悔の材料とする必要はありません。

ああしておけば、こうしておけば、良い結果が得られた確証などどこにもありません。

過去は過去、肯定も否定もせずに過去の出来事として素直に受け入れ、大切な今を精一杯生きる、それで良い、それしかない、と思っています。非難、悪口は自分の弱さを露呈した見苦しく浅ましい姿です。およそ至誠から遠く離れたことと猛省し、改めていきます。皆さん応援してくださいね。

                                    至誠猛省