~ウクライナ~
2022年3月
今年も庭に私の大好きな沈丁花が香りはじめました。木々が少しずつ芽吹き、また花を咲かせる、とてもよい季節となってきました。白内障の手術も無事に終え、55年ぶりに眼鏡から解放され、裸眼で庭を眺められる幸せに心からの喜びを感じ、すべてのことに感謝する日々を送っています。
ところが、世の中にこんな理不尽なことがあってよいのかという、ロシアによるウクライナ侵攻が始まったのです。テレビからの映像に心を痛め、涙を流しているのは私だけではないでしょう。
会社経営者(商売人)は本来、政治的なことには首を突っ込まないというのが処世訓でありましょうが、今回の件だけは許せないと激しく憤っています。しかし残念なんことに私がここで、いくら怒ってみても、それでウクライナの人々が救われるわけではありません。何かしなければと考えつつも募金をするくらいで、何も出来ない自分が情けなくなります。今の私にできるのは、一刻も早く戦争が終わってほしい、ロシアに撤退してほしい、と祈ることだけです。そして、文字通り命を懸けて戦っているウクライナの人々に恥じないよう、命を懸けて仕事に精進することが唯一できる報いではないかと考えています。今こそ1億の日本人は、彼の地の人々の生き地獄ともいえる困難を想い、一人一人が今まで以上に勤勉になる必要があると思います。バブル崩壊以来30年間、GDP成長率はほぼゼロ、給料もほとんど上がらない。この原因がなんであるかは専門家ではないので分かりませんが、日本人に勤勉でない人が増えてきたことも原因の一つと考えるのは、あまりに荒唐無稽で偏った思い込みでしょうか。
7年前、ふとしたことがきっかけで仏教に興味を持ち、少しずつですが勉強してきました。そして、いつの頃からか、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう。煩悩のない静かで穏やかな悟りの境地)の世界にあこがれを持つようになりました。間違っているかもしれませんが、私が理解し憧れた涅槃寂静は、およそ資本主義の成長至上主義とは相反するものでした。特に自分さえよければ、というエゴイズムと拝金主義を軽蔑し強く否定してきました。しかし、いざウクライナの惨状を見せつけられた時、また彼らを助けなくてはと考えるとき、日本に軍事面での強さもさることながら、経済的な強さが絶対に必要だと思いました。107兆円の予算を組んで、37兆円の赤字国債を発行する、国の防衛はアメリカ頼みというような国に、体を張って命を懸けてロシアと喧嘩して、ウクライナを助けることなど出来るわけがありません。私は基本的に争いを好みません。しかし、今この一瞬においても罪のない人々が非道な扱いを受け、また殺されています。沈丁花の香りに浮かれている時ではないし、涅槃寂静の世界に憧れている時でもありません。日本人は皆、もっと本気になって働いて、経済成長し、GDPを増やし、国防予算を増やさなければ、次は日本が同じ目にあった時、ウクライナのように戦えないと思います。ウクライナは決して他人ごとではありません。総理は2億ドル(約240億円)の援助を言ってますが、私はその50倍の1兆円くらい援助しなければと思います。そして、そのお金は、私たち日本人がもっと勤勉に働いて作り出すしかありません。平和を愛する私たちは今、働ける環境にいることに心から感謝し、多くの何の罪もない人々が殺されているウクライナの悲惨な状況を想い、死に物狂いで働かなければなりません。人生の意味が他者への貢献と定義するならば、これは人間としての道だと思います。
寒かった今年の冬も終わり、春が来ました。諸行は無常です。同じことが長く続くことは決してありません。だからといって何もしなくて、ただ傍観していて、いいというものでもありません。沈丁花の花も妻の丹精があってこそです。皆さん、人間としての務めを果たしましょう。