~練習~

2020年5月

 緊急事態宣言も全国的に解除され、ようやくコロナも収束に向かいつつあるようなので少しはホットしています。ところが世界の死者数は約35万人にのぼり、それに対して日本の死者数は約900人弱であると称賛されている人を見聞きします。あまりいい気がしません。いまさら何を言っても亡くなられた方々が生き返ることはありませんが、どこか釈然としない気持ちを持つのは私だけではないと思います。今となっては、被害がこれ以上拡がらないことをただ願うばかりです。

 それにしても、900人の方々も今年のお正月に、まさか自分がコロナで死ぬなどとは露ほども思っていなかったはずです。大勢の人が亡くなられるたびに胸が痛みます。自然災害もそうです。9年前の東日本大震災で18000人、25年前の阪神大震災では6000人、2年前の7月豪雨で260人、皆さん、自分が今日、死ぬとは夢にも考えていなかったと想像します。

しかし悲しいかな現実にはこのようなことが度々起こるのが人類の歴史です。従って、この項を記している私も明日、生きている保証などどこにもありません。確実に言えることは、今生きている、生かされていることに感謝し、それに報いるような生き方を目指して今のこの一瞬を精一杯生きることに尽きるように思います。今を精一杯生きるとは、あるかないか分からない未来のために今を犠牲にしてしまうような生き方と真逆の生き方です。以下は阿純章著“迷子のすすめ”の一説です。“・・・私たちは「まだまだ」「これから」という調子で、今という時を将来の準備と考えてしまいがちであるが、今は今しかない。将来はずっと将来のままである。だから、今が練習でいつか本番があるなんて思っていたら、いつまでたっても本番はやって来ない。・・・”人生は常に本番であると、彼は言っています。

かっての私はまさに阿先生の言われるような生き方をしてきました。22歳で社会人になった時、自分はいつか大成功して大金持ちになるんだ、と全く何の根拠もないのにそんな夢を見ていました。そして人並の努力はしましたが、大成功して大金持ちになるための努力は一切せずに、まだまだ自分は若い、まだ先がある、と言い訳しては適当に仕事して、6時になると雀荘に駆け込み、ひたすら麻雀に明け暮れる毎日でした。仕事でミスをしても、まだ経験が少ないから仕方ない、だれでも失敗を重ねて成長するんだ、と自分の努力不足を棚に上げ、自分に都合のいい論理を作り上げ、自分を納得させていました。心のどこかに、楽に生きたいという怠惰心を、今は将来に備えての「練習」の時だという自分勝手な思いにすり替えていたのだと思います。「練習」の相手をさせられたお客様や上司や同僚には本当に申し訳ないことをしました。続けて阿先生は“・・・将来というのは今ないものなのだから、いくら思い描いてもそれは頭の中の幻でしかない。大切なのはリアルな今だ。その今を充実させるために将来の目的をもつなら分かるけど、なぜ頭がつくり上げた幻のために大切な今を手段にしてしまうのだろう。希望とは将来の自分のためにあるのではなく、今ここにいる自分のためにあるはずだ。・・・”今を大切にし、努力を惜しまず、今を精一杯生き切ることこそが人生の目的であり、努力のその先に世俗の成功を追い求める生き方は、結果むなしい人生になるよう思うのは私一人だけでしょうか。