~時間~

2021年10月

 「汝らの中、罪なき者まず石をもて」これは聖書の中の言葉です。姦淫の罪を犯した女に、ユダヤの律法学者たちがイエスに対して、律法に基づき石打ちの刑に処すべきであるが、貴方はどう思うか、と問うたときに発した言葉です。つまり自分が罪を犯したことが一度でもないと思うのなら、石を投げて女を打ち殺しなさい。と言われたのです。人間は煩悩具足ですから罪を犯したことがない人などあるわけがありません。

 話は変わります。私の妻に約束の待合わせ時間に必ず遅れてくる友人が数人います。夕食時のやり取りです。妻「今日もAさんは30分遅れてきたのよ!それで今日はどうしてたの?と聞いたら洗濯してたの、って言うのよ」と不満顔で言いました。妻とAさんとは30年以上の付き合いです。Aさんがいつも時間に遅れることは今に始まったことではなく、昔からです。それでも妻はお付き合いをしています。私「前から言うてるようにAさんとは絶交するべきや。最初から約束を守るつもりなんかないんや」妻「でも、Aさんの話を聞くのが面白いから、それに私だって自分が遅れることがあるかもしれないし・・・」そう言って妻はAさんを赦すのです。Aさんだけではありません。同じく時間に遅れてくるBさん(2時間遅刻で、その理由は寝ていたからという人)にもCさん(遅れてきたことに対して「少しくらいいいじゃないのよ」と言って謝罪しない人)にも同じ対応をします。私は自分の妻がそういう不当な目にあわされているということで腹が立ちます。私「約束を平気で破るような人と交際しているということは、その人の罪を是とし認めたことになる。それはその人の為にもならないから、断固絶交して罪を罪として認識してもらう機会を与えるのが正しと思うけどな。それでも付き合うのはなんで?」以下は妻の述べた理由です。妻の生まれ育った瀬戸内海の離島では時間を守る人などほとんどいなかった。夕方の7時に寄り合いがあるから7時集合と決まっても、7時に畑から帰り、夕食の支度し、夕食をすませてから8時過ぎにボチボチ集まる。島では時計を見る人はいない。夜が明ければ起きる。お腹が減ったら家に帰ってお昼を食べる。そして暗くなれば家に帰る。だから田舎出身の人はそういうものなのだと。  でも私の知っている限り、島の人も船の出港する時間には必ずその前に桟橋に着いて待っていました。ですから私流の解釈では時間に遅れる人は、初めから時間を守るという意識がないということになります。私は時間を守るということは、約束を守ることと同じと考えますが、どうやら妻はそうとは思ってないみたいです。それとも頭書のイエスの教えに従っているだけかもしれませんね。

 イエスはまたこうも言っています。「人はパンのみに生きるにあらず」資本主義社会に身を置く私たちはパン(お金)を得ようとシャカリキになっています。そのためには時間を守るというのは基本中の基本で、時間に遅れる人間はビジネスでは相手にされません。なぜならタイムイズマネー(時は金なり)だからです。私はパンが無ければ生きていけないではないか、とずっと思っていましたが、どうやら何かパンよりも、命よりも大切なものがあるのではないか、と最近思うようになってきました。それが何かはよく分かりませんが、酒を飲んで、飯を食って、寝て、仕事をする。そしてまた次の日、飯を食って、酒を飲んで、寝て、仕事する、の私の生き方が是か非か、今考えているところです。でも、ただ一つ分かっていることがあります。それは人間は何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいく、ということです。そしてその人生の中で、時間を守るということは、ひょっとしたらパンを得るためだけの手段となっているのかもしれませんね。イエス様はどう思っているのでしょうか。 合掌暗中模索

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