~9月になって~

2021年9月

 9月15日、暑い日でしたが久々の休日に妻と二人、明石公園にお弁当を食べに行きました。妻も今では私と昼食をとる時は欠かさずビールを飲むようになっています。明石駅でお弁当を買って、剛の池の休憩所の自販機で缶ビールを買う予定でした。ところが、さすがに緊急事態宣言中です。当然のことながら自販機のビールは販売停止されていました。私はリュックにワンカップの日本酒を入れていましたから、これでもよかったのですが、妻に「お母さん、ビール要るの?」と聞くと、妻「もちろんよ!」そこで剛の池の休憩所から駅前のコンビニまで暑い中、戻りました。妻のビールへの執念は相当なものでした。昼に飲むというのは結婚してから30年くらいは、なかったように記憶していますが、当初なかった夫婦お互いの習慣が双方に移っていくのですね。似たもの夫婦と言われる所以は、正にこのことにあったのだなあと感じています。大汗をかきながら公園に戻ってきました。足の疲れとビールの温もりの恐れが、さすがに剛の池までは行かせずに、手前の茶屋のある松の木陰の芝生の上にシートを拡げさせました。久々に食す中央食彩のお弁当はやはりおいしいですね。冷たいビールが一層その味を引き立てます。妻が言いました。「私達って幸せよね・・・」

 緊急事態宣言のさなか全くの不要不急の外出をし、公園で弁当とビールを楽しむ夫婦がいる一方、ほんのわずか2週間ばかり前に、40代半ばの弊社の協力業者の代表者が仕事中の事故で亡くなりました。10年以上の付き合いのあるかたでした。何度も一緒に旅行もしました。もちろん仕事では、その誠実な対応でどれだけ助けて頂いたことか。まったく感謝しかありません。また私の参加率は低かったですが、別の会で彼はいつも、木育といって学校等に出かけ、子供たちに木工教室で指導もしていました。本当に立派な人でした。まさに“朝に紅顔ありて夕べに白骨となれり”でした。心からご冥福をお祈りするとともに、自分が生きていること生かされていることに改めて感謝し、このご恩に報いる生き方を貫かなければとの決意を改にしました。そして私にとっての報恩とは働くことでしかありません。

 最近読んだ執行草舟氏の著書“成功に価値はない”の一説に「命を惜しむな、名を惜しめ」と武士の生き方を紹介し、現代においても、その生き方を是とする考え方を記されていました。今の世はどちらかというと、命は地球よりも重い、とされ「名を惜しむな、命を惜しめ」との風潮のように思います。たとえどのような形であれ生きている、そのことに価値があるのだと。それは決して間違った考えではありません。しかし、ただ生きているだけで、何にも挑戦せず、臆病な生き方、嫌われまいとする生き方、無難な生き方に終始し一生を終えるのでは、あまりに寂しいと言わざるを得ません。それよりも昔の武士のように、斬られて死んでも悔いはない、と向かっていく生き方の方がどれだけ素晴らしいと思うのは私だけでしょうか。私はずっと、仕事はプライベートを楽しむためにするものだと考えていました。しかし、そのような考え方で仕事がうまくいくはずがありません。今の私にとっての仕事は何かの手段ではなく目的そのものです。成果が出ようが出まいが、それはただの結果であって関係ありません。働くことそのものに価値があると確信しています。残念なことに、働くことを損だと考え少しでも楽をしてたくさんのお金を得ようとする人たちがいます。そして貰えるものを貰おうと権利だけはきっちりと主張するのです。批判を覚悟で言います。あさましい生き方であると断言します。多くの若くして亡くなられた人々に対して申し訳ないと思うのであれば、生きていることに心から感謝し、損得を超えて、目の前のことに精一杯取り組むのです。明日生きている保証はどこにも誰にもないのですから。

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