~奉教人の死~

2021年8月

 芥川龍之介の小説「奉教人の死」を約40年ぶりに読み返しました。芥川の代表的短編小説の一つで皆さんもよくご存じと思いますが、ウィキペディアにあらすじがうまく纏められていたので、以下にそのままコピー転用させて頂きました。

”長崎の教会「さんた・るちあ」に、「ろおれんぞ」という美少年がいた。彼は自身の素性を周囲に問われても、故郷は「はらいそ」(天国)、父は「でうす」(天主)と笑って答えるのみだったが、その信仰の固さは教会の長老も舌を巻くほどだった。ところが、彼をめぐって不義密通の噂が立つ。教会に通う傘屋の娘が、ろおれんぞに想いを寄せて色目を使うのみならず、彼と恋文を交わしているというのである。長老衆は苦々しげにろおれんぞを問い詰めるが、彼は涙声で身の潔白を訴えるばかりだった。 ほどなく、傘屋の娘が妊娠し、父親や長老の前で「腹の子の父親は『ろおれんぞ様』」と宣言する。皆から愛されていたろおれんぞも、姦淫の罪によって破門を宣告され、教会を追い出される。身寄りの無い彼は乞食同然の姿で長崎の町を彷徨うことになったが、その境遇にあっても、他の信者から疎んじられようとも、教会へ足を運んで祈るのだった。一方、傘屋の娘は月満ちて、玉のような女の子を産む。ろおれんぞを憎む傘屋の翁も、さすがに初孫には顔をほころばせるのだった。 そんなある日、長崎の町が大火に見舞われる。傘屋の翁と娘は炎の中を辛くも逃げ出すが、一息ついたところで赤子を燃え上がる家に置きざりにしたことに気がつき、半狂乱となる。そこにろおれんぞが現れて炎の中に飛び込む。この行動に奉教人衆は、いよいよろおれんぞこそが赤子の父親であったのだと確信する。赤子を救い出したろおれんぞだが、自らは燃え崩れてきた梁に押しつぶされ、瀕死の重傷を負ってしまう。 傘屋の娘は、伴天連に対し、赤子の真の父親はろおれんぞではなく隣家の「ぜんちよ」(異教徒)であること、自分の恋心に応えてくれないろおれんぞへの恨みから嘘をついていたことを「こひさん」(懺悔)する。口々に「まるちり」(殉教)との声を挙げる奉教人衆はろおれんぞの最後の秘密を目の当たりにする。焼け破れたろおれんぞの衣の隙間からは、清らかな一対の乳房が覗いていた。ろおれんぞは女であった。”

 40年前の私は遠藤周作のキリストものを好んで読んでいましたので、その流れで「奉教人の死」も読んでいたのだと記憶しています。当時も今もキリスト教に対して深い造詣があったわけではなく、いわゆる舶来志向的な憧れが一番にあり、イエスや炎の中に飛び込んでいく「ろおれんぞ」を英雄視し称えていました。それはさも私がクリント・イーストウッドや高倉健に抱く憧れと同レベルのものであったと思います。しかし40年も経ちますと、さすがに私も少しは成長し当時とは違った視点で読めるのではないか、との思いが先に立ち通読しました。 ろおれんぞは片想いの娘から無実の姦淫の罪を着せられ、教会から放逐され乞食同然の暮らしに身を落とすのでした。それでも信仰心は衰えることなく、ついには自分に無実の罪を着せた娘のため命を捨てて、その娘の子を炎の中から救い出すのです。最後の場面では、ろおれんぞが男ではなく、女であったことが判明するのです。この場面の文章は特にそうですが、全編を通して芥川龍之介の文章には、読んだものを感動の渦に引き込む物悲しくも何か力強いものを感じさせてくれます。読まれたことない方には、是非一読をお勧めします。30分もあれば十分です。 それにしても、いつの世も“理不尽”ということがまかり通るものですね。愛と平等を説いたイエスは処刑され、戦乱と混乱と飢饉の続く平安末期から鎌倉初期にかけて、念仏を唱えれば極楽往生できると説法し民衆を救った浄土宗開祖の法然と浄土真宗開祖の親鸞は、流罪に処せられました。小説とは言え、ろおれんぞもまた理不尽な目に会わされました。ろおれんぞが一体何をしたというのでしょうか。自分の故郷は天国であり、父は神であると言う、神の子ともいえるろおれんぞが、自分を無実の罪に陥れた娘のために命を捨てる、まさにろおれんぞは神の子でした。芥川の真意は測りかねますが、いかに理不尽な目にあわされようと、イエスや奉教人ろおれんぞのような生き方が出来ればどんなに素晴らしいことではないだろうか、と考えていたのではないでしょうか。そういう私も、次々と降りかかる理不尽に耐え、ろおれんぞのような生き方にたとえ半歩でも近づけたらと願って止むことがありません。

引用: Wikipedia「奉教人の死」作者 芥川龍之介

コラム

前の記事

ダイニングを考える