~性格と運命~
2021年7月
尊敬していますイエローハット創業者、鍵山秀三郎先生の著書を読んでいて、気になる文言を見つけました。鍵山先生の言葉ではなく、芥川龍之介の言葉として「運命はその人の性格の内にあり」という言葉でした。私は人生において、あるいは真理の世界観からは、成功もなければ失敗もない、幸も不幸もない、つまり禍福一如と考えていますが、やはり人情として経営者として世俗の成功や失敗ということも大切に思っています。“運命”という文字をネット辞典で検索すると、「人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ」とあります。人間の意志を超えた力と言えば、やはり神や仏を連想します。そうなれば人間は神様、仏様が定めた人生を歩まなければならないのか、というふうにもなりがちですが、そうではありません。芥川のこの言葉は、人間の意志を超えた力も、実はその人の性格からくる行いによって違った結果を与えることになる、とそういう意味ととらえました。ここで今度は“性格”という文字をネット辞典で検索しました。「その人の行動の仕方に現れる、その人が生まれつきもっている、ある程度持続的な固有の感情や意志などの傾向」とありました。そうなると生まれつきもっている感情や意志によって、運命は決まってくるということになります。ここでその“運命”を世俗の成功、失敗、幸、不幸に置き換えますと、人間は生まれた時から世俗の幸、不幸が決められているということになります。それでは神や仏もあったものでありません。そうではなく、実は生まれつきもっている固有の感情や意志こそ、人間の意志の力を超えた力によって与えられたものであり、その固有の感情や意志からくる行動によって起こる人生での様々な出来事を通して人間は学び成長していくものだと、私は考えています。
かく言う私もよくない性格(神仏から与えられた生まれつきもっている感情や意志)をたくさん持っています。そのため多くの失敗をし、道を踏み外し、また心ない言動により人を傷つけてしまったのです。と、こういう風に記せば失敗や人を傷つけたことは私のせいではなく、この性格を与えた神仏のせいだ、となってしまいがちですが、それは全く見当違いです。失敗し人を傷つけたのは神仏のせいでも誰のせいでもありません。それを行った私自身の責任なのです。そしてそれは私だけではありません。人はその性格ゆえに社会において人生において自分が受け入れられない、あるいは思い通りにならないつらい場面に遭遇します。それこそ芥川龍之介の「運命はその人の性格の内にあり」なのです。私たちは神から与えられた性格により、つらい苦しいことを数多く体験します。しかしそれは本当は神様からのプレゼントなのです。思い通りにならない、それこそ理不尽と言えるような目にも合います。これもまた仏様からの贈り物なのです。つまり、そのようなつらい目に合うように、その性格を与えられたのです。何のためでしょう。自分の性格から来る言動が理不尽や苦痛を招いたことを強く自覚し、その性格や言動を改める。その改める方向性は自分の利益ではなく、他者の利益になるように改めることに気付かねばならないのです。人間は自分が一番大事だ、という本能、人情、煩悩に包まれています。このことから脱却するために神は私たちに性格を与えられました。人は与えられた性格に基づき行動すれば必ず失敗し苦しむのです。有難いことです。そして真理に目覚めるのです。やがて、そこに本当の喜びがあることに必ず気付くことになるのです。
感謝合掌