~父~

2021年6月

 平成18年に亡くなった父は厳格で堅実で負けず嫌いで覚悟の定まった、それでいて子供思いの人でした。はっきり言って私なんか足元にも及びません。父との思い出はたくさんありますが、一番記憶に残っているのが、私が高校1年の時のことです。神父が数人いるような厳聖なキリスト教系の男子校でしたが、あることで無期停学の処分を受けました。そのことで育ちの良い母は寝込んでしまいました。保護者として普段、学校など一度も行ったことのない父が学校に謝罪に行かなければならなくなりました。父は私を連れて謝罪に行ってくれました。お陰で退学にならずにすみました。厳格で口うるさい父でしたから、どれだけ叱られるかと、びくびくしていましたが、ついに父からはこのことで叱られたことは生涯一度もなかったのです。父の存命中に一度でも、なぜ叱らなかったのか聞いておかなければと思いつつも、私の怠慢から実現することなく父は亡くなりました。

 親の言うことはきかないが、親のすることはまねる、とよく言われていますが私もその例外ではありません。父は夕食時に晩酌として熱燗とビールを同時に飲んでいました。そして夕食が終わると、今度はウィスキーを飲むのが日課でした。子供心によく飲む親父やなあ、と思っていました。そしてお造りとナマコが好物でした。お造りはともかく、ナマコはあのドス黒赤い奇妙な形を見て、よくあんな気持ちの悪いものを食べられるもんやなあ、とこれまた感心していました。それが教えられもしないのに、今の私は同じことをやっています。夕食時に熱燗(夏は冷酒)とビール、食後はウィスキーか焼酎か泡盛かワインを飲みます。さらに子供の時、あれほど気持ち悪がっていたナマコがいつの頃からか大好物になりました。

ナマコはともかく、お酒をたくさん飲むことは体に良くないことは誰でも知っていることですから、本来ならマイナスの感情とならなければならないのに、実は反対に私はそういう自分を誇らしく思っているのです。尊敬する立派な父に少しでも近づけたかなという思いです。

間抜けた感覚と思われるでしょうが本当のことなのです。決して大量飲酒のことを居直っているわけではありません。お酒の飲める体質と習慣を受け継いで本当に良かったと思っています。

 ところが父からの継承は良いことばかりではありませんでした。立派な父でしたが、やはり人間です。大正8年生まれ、戦前の教育のせいでしょうか、時々封建的なことを母や私たち兄妹に言ったことがありました。その日の晩酌が過ぎたのでしょう。「お前ら、だれのお陰で飯が食えると思うとるんや」これを言われて気持ちよく思う人は絶対にいません。子供心に自分は大人になっても絶対にこんなことは言わへんぞ、と固く思っていました。ところが、家庭をもって何年かしたとき、何があったかはもう忘れてしまいましたが、私はこれを妻に言ってしまったのです。最低の男でした。だれのお陰で飯が食えるのか、今考えれば神仏のご加護と、妻や子、多くの周りの人々のお陰であると確信できるのですが、当時の私は思い上がっていたのです。どんな言い訳も通用しません。言ってしまったあと、まずいことを言ったと分かっていながら、妻に謝罪することもなく不貞腐れていました。本当に最低の人間です。今、数年に一度、妻にこのことを言われます。穴があったら入りたいとは正にこのことです。そして半世紀前の父のことを思い出すのです。無期停学になった高校生の私をついに一度たりとも叱らなかった父を。                       感謝猛省

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