生まれ変わり

『生きがいの創造』という本を読みました。著者は飯田史彦といい福島大学の経済経営学の教授でベストセラーになったそうです。私は本好きで小説をよく読みますが、いわゆる”生き方本”もよく読みます。しかしこの本は初めてで同友会(中小企業の経営者の団体)の仲間から紹介されました。読み終わって正直、人生観が少し変わりました。
 内容は文庫本400頁にも及びますので、私ごときがまとめ上げてご披露することなどはなはだ僭越で出来かねます。そこで今回は本の中からそのまま数箇所抜粋してみることにしました。本のサブタイトルは”生まれ変わりの科学が人生を変える”となっています。

P32『はじめに  本書は「死後の生命」や「生まれ変わり」のしくみに関する科学的研究の成果を、わかりやすく整理してご紹介し、それらの研究から得られる知識を活用することによって、私達の人生観がどのような影響を受け、日々の生活がいかに素晴らしいものへと変わるだろうかということについて考える、新しい観点からの「生きがい論」です。——-』    
P94『ジョエル・L・ホイットン博士(トロント大学医学部精神科主任教授)が偶然に「中間生(人生と人生との間の生、俗にいう「あの世」)の存在を発見したのは、ポーラ・コンシディンという42歳の女性に退行催眠を行っている時のことでしたポーラは安定した気質の持ち主で———–ごく普通の北アメリカの主婦でした。彼女はホイットン博士から通算百時間以上にのぼる退行催眠を受け、自分の長い生まれ変わりの歴史を整然と物語りました。ポーラの口から語られた過去生をたどっていくと、古代エジプトの奴隷の娘として生きた時までさかのぼりましたが、ほとんどが女性としての人生でした。例えば、「テルマ」という名前の人生ではジンギスカン時代の族長の娘でしたが16歳の時に戦いで殺されました。また1241年に34歳だった「オーガスタ・セシリア」という名前の人生では、一生のほとんどをスペインとの国境近くのポルトガルの孤児院で過ごした尼僧でした。さらに1707年に17歳だった「マーガレット・キャンベル」という名前の人生ではカナダのケベック市近郊に住み、のちに毛皮を商う猟師と結婚しました。そしてポーラが1822年にアメリカのメリーランド州の農場で生まれ、若くして農家の階段から転落して死んだ「マーサ・ペイン」という名前の娘であった人生を思い出していた時のことです。ホイットン博士は、何気なく「あなたがマーサ・ペインとして生まれる前に戻ってください」と指示してみました。しかし正しくは「マーサ・ペインとして生まれる前の人物に戻ってください」と指示するべきだったのです。「生まれる前に戻ってください」と間違った指示を受けたポーラは、突然、こう語り始めたのです。「私は——空の——上にいます。農場の家や納屋が見え—–朝早くて——太陽は昇りはじめたばかり——-。刈り取りを終えた畑は、真っ赤に——真っ赤に染まって—–長い影ができています—–」  ポーラが「空の上」などにいるはずがありません。うろたえたホイットン博士は途方にくれて、さらにたずねてみました。  
「あなたは、空の上で、いったい何をしているのですか」
「私は—–生まれるのを—–待っています。お母さんのすることを—-見ているところです」
「お母さんは、どこにいるのですか」
「お母さんは—–ポンプの所で—–バケツに水を入れています。とても大変そう」
「なぜ、大変なのですか」
「私の身体の重みで—–おなかに気をつけて、と、お母さんにいってあげたい—–母体のためにも、私のためにも—–」
「あなたの名前は?」
「名前は—–まだ、ありません—–」
このように、自分の身体が上空に浮かんでいるという記憶を持つ被験者は、今では当たり前のこととして、多くの研究者から報告されています。——』
P98『——-さらに、十八種類もの学位を持つエリザベス・キューブラー・ロス博士は、過去十年以上も視力がなく目の見えない患者たちが、臨死体験中に、自分を見舞いに来てくれた人々の洋服や宝石の色、セーターやネクタイの色や形までを確かに「見」て、正確に描写することを確認しています。これらの事実は、肉体を離れた意識体(俗にいう魂)の実存を示す、有力な証拠とされています。』
P175『—–つまり俗にいう「愛のキューピット」は迷信でも創作でもなく、実際に存在する「自分の両親になる予定の男女を結び付けようとがんばっている意識体」たちのことを言っていたのです!——–仙台市にお住まいのMさんによれば、現在小学生のお嬢さんが四歳になった頃、——突然想い出したように、こう話し始めたのだそうです。
「お母さん、私、お父さんとお母さんが結婚するのを、お空の上から見てたのよ」
「えっ?どういう意味?」
「私、お父さんとお母さんが結婚すること、知ってたの。そしたら、私が生まれることも知ってたのよ」
「へ~、そうなの——」
「生まれる前、今度はどのお母さんがいいか捜して、お父さんとお母さんのところに生まれよう、ってきめたの」
「ど、どうしてお母さんたちを選んだの?」
「え~とね、神様みたいな人に相談したら、今度はお母さんのところがいい、って教えてくれたの」——-』

実は私も似た体験をしています。我が家の次女のことですが妻から聞きました。
次女が3才頃のことです。その頃次女は喘息の発作がよく出て、とても苦しんでいました。ある晩のことです。発作に苦しみながら次女は妻にこう言ったそうです。
「お母さん、私、生まれてくる前は、神様のところにいたの。すごくいいとこころで、
すごくしあわせだったの。だから早く、神様のところに帰りたいの」と——–
幸いにも次女は現在23歳で看護師をしています。喘息は完全ではありませんが、ほとんど治っています。ちなみに、次女がそう言った時、私は横で熟睡中であったそうで、翌朝、妻から厳しく叱責されたことをよく覚えています。

P138『果てしない成長の追及  ホイットマン博士やワイス博士をはじめとする退行催眠の研究で、いちばん興味深い成果は、肉体にやどっていない状態(中間生にいる状態)のあいだに、私たちが自分自身で、次の人生を計画するというしくみがわかったことです。被験者たちは、指導役の意識体たち(光の存在)の前で終えてきた人生を振り返って反省したのち、彼ら(彼らといっても、性別は感じられないそうです)の助言を参考にしながら、自分で次の生まれ変わりの人生計画立てたことを思い出します。この時、何度もの人生を通じて太いきずなを築き上げてきた、ほかの意識体たち(のちに説明するソウルメイト)と相談しながら、次の人生を計画することが多いこともわかっています。この相談の時、物質界での再会のチャンスをのがさないよう、たがいの誕生の時と場所をきちんと打ち合わせておかなければなりません。被験者たちの証言によると、このような「グループ転生」は、頻繁に繰り返されており、互いに仲が良い場合も悪い場合も、過去生に登場した人物と、再びかかわり合うことになるのだそうです。ホイットン博士の被験者の一人はこう語ります。
「前世で、十分な扱いをしてあげなかった人たちがいるので、この世に戻って、借りを返さなければなりません。今度、彼らの方が私を傷つける番になっても、許してあげるつもりです」———-』
P141『人生設計のしくみ—–私たちは、自分で自分に与えるべきいくつもの問題(人生の課題)が、人生の最適な時期に生じてくるように、いわば「自動発生装置」をしかけておきます。その問題が生じた時に「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」を選ぶか、逆に「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」をえらぶかという、大きく二通りの選択肢を用意しておくのです。——–そして、その問題に直面した自分が、ここで「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」で対処することを選ぶことができた時、私たちはその問題を見事に解いたことになり、成長の階段をひとつ上がることができます。もしも、そこで「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」を選んでしまった場合には、依然としてその問題は残ったままで、さらに厳しい試練に直面するようなしくみを用意しておくのです。 したがって、次々とあらわれてくる問題に対して、つねに「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」で対処するよう心がけていれば、その人生は、どんどん楽しい方向へと進んで行き、自分を助けてくれる温かい人々が不思議なほど次々とあらわれ、充実しきった人生になっていきます。しかし、いつも「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」で対処ばかりしていると緊張、争い、疑い、敵意に満ちた方向へと進んで行き、転落と苦難につながる事件が不思議なほど次々おそってきたり、自分を守ってくれる人々が次々と去っていき、厳しくさびしい人生になっていくのです。———–』

私が経営者の道を選ぶと決めた時、自分には20年のサラリーマン経験がある。社員としていろんなうれしいこと、嫌なことを体験してきた。だから、私には社員の気持ちがよく分かる。私の元に来てくれる社員には絶対にいやな思いはさせずにおこうと考えましたし、またそうする自信もありました。ところが、いざふたを開けてみますと、そう思ったとおりにはなりませんでした。自分で採用しておきながら、社員のお客様に対する姿勢を厳しく見つめすぎていた等の結果、いろんな理由を見つけては「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」で対処していた時期がありました。結果は本に書いてあるとおりです。
同友会で「人間尊重経営」「労使見解」等々いろいろ学びました。人は決して人を使えない、社員は会社の理念を実現するための最も信頼できるパートナーである、
ことも学びました。しかし学んだからといって、即実践できるわけではありません。
なぜ実践できないか?答えは正に「自分」であることに気づきました。いつも自分というものが他より優先して、まったくの無私にはなっていなかったと思います。今は少しでも完璧な忘己利他に近づくことを目指してがんばっています。
その中で出会ったのがこの「生きがいの創造」という本でした。著者も述べていますが私も、どの宗教団体にも所属しておりませんし、正月には神社に詣で、クリスマスにはケーキを食べ、法事はお坊さんに頼むという典型的な雑宗教の日本人です。
テレビなどで前から生まれ変わりのことは知っていましたが、今回、「生まれ変わり」
「臨死体験」「指導役の意識体」「中間生」「ソウルメイト」等を合理的に理解し信じることができました。そして、自分もまた前世より何かの命題をもってこの現世に生まれてきたことを今強く感じています。ひょっとすると今携わっています家づくりの仕事が、その命題のひとつではないかと思えるのです。というのも、確実に「良心的な、愛のある、前向きの方法」で対処しているとはいいきれませんが、人生がどんどん楽しい方向に進んで行き、私を助けてくれる温かい善意の人が次々と現れてきているからです。たとえ寿命が尽きようとも、また、新しい命題を背負って生まれ変わることができると信じた時、少しずつ無私に近づけるような気がします。そして、人のために何ができるかをいつも考え、それを実行できる人でありたいと願い続けます。
なぜなら、それが人としての最高の喜びだからです。

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