心配

 私が飯田史彦先生の大ファンであることは、この講でよく書きます。飯田先生のことは2008年9月号で”私のお勧め本”として初めて紹介しました。当時は国立福島大学の経営学部教授をされておられましたが、今は退官されておられます。初めて名前を聞かれた方のためにネット上の百科事典ウィキペディアでの表記を以下に紹介しておきます。「—–2007年には、京都大学から公式な依頼で、京都大学百周年記念ホールにおいて、立ち見多数の超満員800名の参加者を前に、単独の講演会を開催した。飯田史彦の『生きがい論』シリーズは、2009年5月の時点で総計170万部を超えるベストセラーとなっている。2009年4月以降は、飯田史彦メンタルヘルス・マネジメント研究所所長および飯田史彦スピリチャルケア研究所『光の学校』校長を務めながら、企業や病院など様々な組織のコンサルティングや、医療機関でカウンセリングを行っている。」

私はこの飯田先生の著書から本当に多くのことを学びました。はっきり言って人生観が変わりました。学んだ数多くのことを、今月のこの講で書き記すことは紙面の関係上出来ませんが、少なくとも”人間は生まれ変わる”というスピリチャルなことを事実として認識出来たことは、私を大いに成長させてくれました。その飯田先生の多くの著書の中でも代表作といっていいのが『生きがいの創造』ではないかと思います。

その本の中に出てくる学者・研究者の中の一人にアメリカの精神科医ブライアン・ワイス博士という先生がいます。彼の日本語訳の著書5冊はすべて読みました。彼のことはネット上で”ユーチューブ ブライアン・ワイス博士”と検索すれば動画で2つの画像が見られます。ひとつはワイス博士の話されているもの、もうひとつは、私は見ていないのですが、たぶんテレビ番組のアンビリバボーではないかと思うその一部です。著書でも多くのページを割いていますアメリカ人エリザベスとメキシコ人ペドロの物語です。著書ではこれ以外にも多くの人の前世の記憶や体験が記されています。興味のある方はすべてPHP文庫から出ていますので、一度、手にして読んでみて下さい。感動的な物語(事実)もたくさんありますよ。そして、この5冊とは別に本とCDがセットになったものがいくつか発売されています。

 この中の一つに本のタイトルは「ワイス博士のストレス・ヒーリング~やすらぎとパワーをあなたに~」CDには「ストレスを取り去るワイス博士のヒーリング瞑想」と書かれたものがあります。この中身はワイス博士が英語で、著書の翻訳者の山川亜希子さんが日本語で、それはそれは神秘的で美しい音楽を伴奏に、リラックスするため、瞑想するため、数多くの人間の内面に宿る美しい言葉が語られています。約30分に及ぶ語りの中にこんな一節があります。「——心配するのは良くないことだと、あなたはわかりました。それはくせなのです。もし、今の一瞬に生き、すべてを感じていれば、心配することは何一つありません。心配は必ず過去か未来です。将来の計画を立てるのは役に立ちますが、将来の心配をするのは良くありません。過去から学ぶのは有益なことです。でも過去のことを気にするのはやめましょう。すでに終ったことだからです。————」

特にこの中の『将来の心配をするのは良くありません』のフレーズに私はどれだけ救われたことか。私にぴったりの言葉でした。そうです、皆さん、将来の計画を立て、それに向かって実行していけば、将来の心配など全くする必要はないのです。心配したからといって何か良いことでもあるでしょうか。

 私の性格はどちらかというと気が小さく心配性です。家づくりを生業としていますが、自分自身がすべての現場を見に行かないことには、心配で心配でたまらないというタイプです。経営の勉強では、どの先生も部下に権限委譲して、任せなければならないと言われます。私もそれが正しいと解っています。しかし、こんな性格ですから、なかなか任せられません。おかげで私の1日の平均実働時間は最低12時間になります。1ヶ月で25日は最低働きますから実に300時間以上です。これを働き過ぎととらえるか、経営者だからそれぐらい当たり前だとするかは意見の分かれるところですが、最近は若いときに比べて、毎日の12時間労働は肉体的にも精神的にも少しきついかなと感じるようになりました。しかし前述のCDを聞き出してからはずいぶんと楽になり救われました。

会社の将来の計画は、中期事業計画と称して5カ年計画をきちんと立てています。でも、この計画が実現するかどうかなどは全く心配する必要はないのです。ただ、これに向かって一生懸命、お客様や社員や取引先の幸せを願って黙々と淡々と、やればそれで良いのです。結果がどうであろうと、そんなことはたいしたことではないのです。おかげで以前にも増して食事やお酒がおいしくなりました。どうやら私は簡単に洗脳されるタイプみたいです。

 久しぶりに広島から義父がやってきました。義母は今回、足の具合が悪く来ることが出来ませんでした。妻と3人で塩田温泉の上山旅館というところに行ってきました。温泉に入って、一杯飲んで、夕餉を食しながら86歳の義父は「こうめしがうもうちゃ、まだまだ死なれんわあ」と幸せそうにつぶやきます。そういう義父も以前にもまして体重が増えたように見えました。私はというとワイス博士のおかげで心配がなくなり、妻から「お父さん(私のこと)がこんな体型になるとわねえ。詐欺にあったようなものよ。いくら心配事がないからといって、食べ過ぎ、飲み過ぎよ」詐欺にあったというのは、知り合ったときの体重と体型を知っているからです。詐欺にあったとまで言って私の健康を心配してくれる妻には本当に感謝です。洗脳されやすい私ですから、もし瞑想CDに「心配事がなくなったからといって、食べ過ぎ、飲み過ぎは良くありません」と入れていただければきっと効果があがるでしょう。

 皆さん、私の体重は別として、将来のことをあれやこれやと心配するのは止めましょうね。心配しなくても人間はいつか必ず死ぬ。でも死んでもまたなにか使命を持って生まれ変わり、別の人生を送れるのですから何の心配もいりません。我々の真の姿は魂そのもので永遠に死ぬことのない存在です。だから何の心配もいらないのです。飯田先生は”死ぬということは体から離れて生きる”と定義されておられます。

では最後に本に載っていますピエール・T・シャルダンというキリスト教神秘主義者の言葉を記して今月は終ります。最後まで読んで下さって有難うございました。

 『私たちは霊的な体験をしている人間ではありません。人間という体験をしている霊的な存在なのです』

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