~蝉しぐれ~

2020年7月

 毎年のことですが、我が家の蝉が鳴き始めました。妻は庭が生きがいで30本あまりの木を植えているものですから、それはまさに蝉しぐれと言ってもいいぐらいの喧騒です。

私の夏の休日の朝はニュースやワイドショーを見ながら、笊そばをあてに缶ビールを飲むのが至福のひと時です。しかし窓を開けるとテレビの音がほとんど聞こえません。そこで窓を閉めます。するとテレビの音は聞こえるようにはなりますが、蝉の声が小さくなります。窓の外から聞こえる蝉の声とテレビの音、比べるとその音の清らかさ、眩しさ、美しさ、なつかしさ、悲しさ、どれをとってもこれは全く比較になりません。結局、テレビを消して窓を開け、蝉しぐれとともにビールを飲みます。この世はなんと美しいのか、自分は何と恵まれた人生を生きているのか、蝉の声は私を感傷と恍惚の世界に引き込んでくれます。

 これもこの時期ここ数年、毎年同じ会話を妻としています。

私「お母さん(妻のこと)蝉はなんのために生まれてくるんやろね?神様はすべてのことに意味を持たせて創られた、とのことやけど、一体、蝉にはどんな意味があるんやろね。土の中に7年も10年もおって、地上に出てきて10日余りで死んでいく。蝉はなんかの役に立ってるんやろか?」

妻「役に立つとか立たないかは人間を中心にした考えで、蝉には関係ないのと違う。神様が創られたんだから、きっと意味はあるのよ。人間にはわからないことよ」

私「そうやな。人間かて、なんかの役に立ってるのかと考えたら、なんの役に立ってるんやろなあ。仮に人類が滅亡したからいうても、蝉もゴキブリも蚊も特別困れへんしなあ」

妻「そうよ、お父さん、前に言ってたじゃない。ゴキブリは3億年前から地球にいるって」

私「そう、人類はせいぜい200万年前に類人猿として地球に出現したけど、ゴキブリは3億年前やからな。比較になれへんわ。神様はゴキブリを先に創られて、ずっと後に人間を創ったということは、神様にとっては人間よりゴキブリのほうが地球にとって価値があるということかもしれんなあ」  蝉からゴキブリへと前後の脈絡のない会話が続きます。一つ言えることは私たち夫婦は、人間はアメーバーから進化して人間になったとは信じていない、ということです。私も妻も特定の宗教組織には一切属してはおりませんしクリスチャンでもありません。進化論はNHKの「ダーウィンが来た」などで少し知っています。そのテレビを見ていると、なるほどこうやって虫や動物は環境に適応し進化してきたのか、なるほどと感じます。でも、やっぱりどう考えても猿が人間になったとは考えられないのです。(経営の神様と呼ばれた松下幸之助氏も同じ考えのようです)

 宇宙が誕生し、地球が生まれたことを偶然ととらえるか、または神仏のご意思と信じるのかでは生き方はずいぶんと変わってくるように思います。本当のことは人間には永遠にわからないし、またわかる必要もないように思っています。確実に分かっていることは、全てのものは変わっていき、同じことは絶対に続かないということです。この地球と言えども最後は滅んでいくのでしょう。しかしそんなことも考える必要はありません。蝉のように、与えられた命を与えられた場所で一所懸命に生きる。ただそれだけでよいと考えています。過去も未来もない。幸も不幸もない。蝉しぐれとともに今を生きるだけです。  感謝合掌