~学ぶ~
「人は人の為にある」という理念を掲げている会社があります。愛知県のサンアイ自動車という会社です。コンサルを受けている船井総研のCDで知りました。船井総研のCDで紹介されるくらいですから、相当立派な良い会社です。その会社の社長(たぶん70歳位)は、娘さんが言っていましたが、今まで家でも会社でも怒ったのを見たことがないそうです。
私は社長になって18年目になりましたが、今でこそ、馬齢を重ね人格者ぶっていますが、実は、元来、気短癇癪持ちの怖がり屋で、しかも集中力散漫型人間でした。気短癇癪持ちと集中力散漫は、学ぶことと経験を重ねることで、多少、克服できるようになりましたが、怖がり屋はまったく治っていません。それが証拠に、ゴキブリが自分に向かって飛んできたときには、「ギャー!」と叫んで逃げまくっています。また、恐竜とかゾンビに追いかけられる夢を、時々見ますが、やはり「ヒエー!キャー!」と叫び声を上げて、妻にたたき起こされます。こんな人間が長年、社長をやっているものですから、人徳のあるすばらしい経営者には絶えずコンプレックスを持っています。そして、こんな社長になりたいと、憧れ続け、真似をするのです。だから、この度も絶対に怒らないでおこうと決めました。でも、”言うは易し、行いは難し”です。そこで私は、人間(私)はどんな時に怒るかと考えてみました。それらをあらかじめ予測して、その場面が現れても”想定内”として耐えるのです。そこにきっと成長があるだろうと考えました。どんな時かといえば、例えば
①自分は仕事も家事も精一杯一生懸命に、やっている。それでも、やりようが足りない、これもやってない、あれもやってないと非難される時。
②自分がやっていない悪いことを、貴方がやったでしょうと責められる時。
③その人を信用して、ある特定のものごとを依頼し、その人もやりますと答える。しかし、いっこうにやろうとしないか、中途半端にしかやらない時。
④その人から明らかに不当なことをされ続けても辛抱し耐えてきた。でも、その人からまったく、こちらに落ち度のないことで、さらに激しく攻撃された時。
⑤自己中心的で、いつも自分のことばかり——他人に対する配慮が一切なく、真摯な努力を一向しないくせに、自分は不当に扱われていると不満を漏らす人。
ほかにも、人によって色々とあると思います。ひょっとしたら無数にあるかもしれませんね。でも私は学びました。だから、上記のような場面が現れても、決して怒らないと。そして出来るかどうかわかりませんが、こんなふうに言おうと思っています。
①の場合「ごめんなさい。努力が足りなかったみたいです。すぐやりますから、もう少し待って下さい」
②の場合「私はやっていないけど、私がやったとあなたに想わせたのなら、私の態度が悪かったのでしょう。ごめんなさい」
③の場合「私の頼みかた、説明の仕方が悪かったみたいですね。もう一度、説明しますから、やってもらえますか」
④の場合は、何も言わずじっと耐えるか、その人から逃げる。
⑤の場合は分かりません。じっと耐えるしかないかなと思います。
これらを学びというかどうかは別として、人間はどんな時でも、学びつづける義務があると信じています。学べば学ぶほどに、自分の無知、無能、未熟さに気づくのです。多くの人が、わずかな経験、体験、学びでもって「自分はよくわかっている。知っている。だから、この問題は○○○○すべきである」と断定されることがあります。判断にスピードを要するビジネスなどの場合はともかく、それ以外のものごとについて私は、今はとても慎重な態度をとるよう心掛けています。それは、学びを重ねることで、答えが180度、変わってしまうことを何度も何度も経験してきたからです。皆さんも、同じ経験をされていることと思います。そして、より真実に近い答えは、充分に学んだ後に出した答えであることが、圧倒的であることも事実です。だから学ぶのです。
心の中から、怒りや苛立ちの感情を捨て去ることは、とても素晴らしいことで、”平和と愛と静けさと思いやりの中心にたどり着くことが出来る”ことを学びました。怒りや苛立ちは、自分をよりみじめに孤独にさせるだけです。自分は無知で、未熟で無能であると謙虚な心を持てば、多くの怒りや苛立ちの感情は消し去ることが出来ます。
学ぶだけではダメだ。実行してこその学びである。これもたしかに真理です。学んで実践、学んで実践、よく経営者セミナーなどで言われます。それでも私は、実行するためだけに学ぶものではないと考えています。一概には言えませんが、実行するためだけに学ぶというのでは、あまりに実利的、短絡的であると思います。願わくば”学ぶために学ぶ”くらいの余裕が欲しいと思います。学んで実践もいいですが、出来れば、学んで、学んで、学んで実践、が私の望みです。
異業種交流会の会報でこんな言葉を知りました。”「持つ為に生きる」のではなく「生きる為に持つ」”その通りだと思います。私は常々社員に言っています。「私はお金儲けのために、会社経営をしているのではない。ミッションや理念を実現するために経営している」と、すなわち、すべての事業は世のため、人のためにあるべきで、お金を稼ぐことが目的であってはならいことを学びました。今またこうして、学びの中で「人は人の為にある」という経営理念に触れ、さらに「持つ為に生きるのではなく、生きる為に持つ」という経営者として人としてのあるべき姿を、心になかに刻まれました。
感謝 合掌