感謝

この講、先月は地震を理由にお休みさせて頂き、誠に勝手を致しました。今こうして1ヵ月半ほど経ちますと、その時の自分の舞い上がった思い上がりの感情に対して恥ずかしく思い、痛切に反省している次第です。   哲学者でもない一介の小企業経営者が、世の中で起こったことすべてに体系と意味づけをしようなどとは、まったくの笑止千万でした。今はただ素直に被災地の復旧、復興を願うだけです。

話は私の会社のことになりますが、工務店経営の要である種々の資材が震災後、思うように調達出来なくなりました。震災の前から断熱材などは入荷が遅れ遅れでしたが、このたび品物によっては納期がまったく読めないという状態です。お金さえ払えば品物はいつでもある。私たちはずうっとそれが当たり前のように思っていました。でも今回はそうではありません。今考えれば品物が入ることなどに感謝の念など持っていなかったと思います。私たちは”感謝の気持ちをいつも忘れずに”と口ではよく言います。セレクトホームの行動指針にも「感謝、寛容、謙虚、誠実の四つを忘れません」とあり朝礼で唱和します。そうは言いつつも、実は日々の出来事一つ一つのことに本当に心から感謝していたかといえば、そうではなかったということが分かりました。お金を払っているんだから資材の供給を受けるのは当たり前だ。もっと言えば、どこか心の中に、買ってやっているんだというおごりの気持ちも少しはあったのかもしれません。このたびは、感謝ということに私達がいかに鷹揚であったかを思い知らされました。人は失くしてみて初めてその失くしたものの大切さを知るといいますが、全くそのとおりでした。

安田佳生さんの著書”下を向いて生きよう”の最後にある「日常の中にあるほんの小さな出来事が、幸せの瞬間であり、人生そのものかもしれない」の一節を思い出しました。日常のほんの小さな出来事に、生きていることに、生かされていることに感謝しようと改めて思い直しました。

私は若い時、長い営業マン生活の中で合理的とか効率的とか実質主義などという言葉が好きで、できるだけそのように振舞ってきたつもりです。たとえば、前日の飲み過ぎがたたって朝起きられない、しかし、その日は大事なお客様との商談が午後2時にある。私は布団の中でこう考えて行動していました。”今必死になって起き上がって会社に着いても、体調不十分で大事なお客様との商談にベストな状態で臨めない。それよりも、このままあと4時間ほど寝ていて、それから会社に行こう。そのほうがきっといい仕事ができる。これは自分にとっても、お客様にとっても、会社にとっても良いことだ。これこそ三方良しである。”と形や細かいルールなどどうでもいい。結果が大事で、結果が良くなければ何の意味も価値もない、とこのような考え方を会社を興すまでずっと持っていたように思います。形式にとらわれて実質的な目標達成が出来なければ、それは善ではなく悪であるとまで思っていました。しかし、経営者になってから考え方が変わりました。全くの正反対です。極端に言えば実質的な結果よりも、形のほうが大事である。

そう考えるようになりました。前述の例ですが、そもそも明日大事な商談があるというのに飲み過ぎて起きられなくなるという方が問題で、そのことを反省しなければならないのに、結果を出すことが大事で、結果が出なかったら三方良しにならないという自分に都合の良い理由を考えて、前日の飲みすぎを反省しない。自分を正当化する。(このことを心理学で合理化というらしい、と妻に教えてもらいました)組織で動いている会社で皆がそのように勝手な理屈をつけて、勝手に行動すればその組織は必ずだめになると思います。会社や組織がダメになり潰れてしまっては、お客様だけでなく多くの社員、関係者に大変な迷惑をかけることになります。朝決まった時刻に会社に行く、いろいろな決められたものごとは必ず守る。誰でもが出来ることですが、これをずうっと継続し続けることは結構大変なことです。私は誰でもができる簡単なことを何年も、何十年も続けることの価値を鍵山秀三郎先生(トイレ掃除を何十年も続けた経営者)の著書から学びました。明日は大事な商談がある。だから今日は飲まないと考え行動することは、その人に本当に心から物事に感謝する気持ちがあればできるはずです。感謝する気持ちとは常に周りのことに気配りし、自分のことよりも相手のことを思いやることにほかならないからです。ということが少しずつ分かってきました。若いころの自分は未熟でした。合理的とか実質主義とかの美名の下に、実は感謝の念の薄い、自分中心の考え方であったかと今は大いに反省しています。

私は今社長として形やルールを守ることを会社で言い続けています。弊社にも有給休暇制度があります。ただし、これを申請するのは2週間前までとし、病欠を後から有給休暇に振り返ることは認めていません。欠勤として減給扱います。社員には不評です。人間は誰でも病気をするものだ。それを欠勤扱いし減給するのでは日給月給と同じで、月給制の正社員の待遇としてはおかしい、と皆は思っているようです。私が一社員の立場であればきっとそう考えたとかもしれません。しかし、そうではない。人間はお金を稼ぐために生まれてきたのではない。成長するために、愛を実践するために生まれてきた。そしてそれが人間としての幸せであると今はこう信じています。たしかに人は誰でも病気をする。しかし、病気にならないように気をつけて行動することは出来るはずである。大体今までの病気欠勤の大半は風邪をひいた、吐き気がする、下痢が止まらない、熱がある、頭が痛い、などなどである。これらは仕事をお金を稼ぐためだけのもの考えるのと、仕事は自分を成長させるためのものであると考えるのとで、結果は必ず違ってくるはずです。たしかに自分や自分の家族のことは何よりも大切です。しかし、その思いは皆が持っている思いであれば、自分ことよりも、他人のことを思いやり感謝し、その気持ちのとおりに行動すれば、なかなか病気などするものではありません。

私の会社経営の目的のひとつは私を含め全社員が人間として成長していくことです。決してお金儲けを目的として会社経営はしておりません。東日本大震災の惨状を見るにつけ私たちは今一度、感謝するということの大切さを問い直し、今私たちが本当にやらなければならないことを考え直し行動し、人間として少しずつ成長していきたいと願っています。 

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