平屋の検討が増えています

こんにちは、家づくりサポーターの渡辺です。

去る10月21、22日は神戸市北区で「平屋風2階建ての家」というキャッチコピーで完成見学会を行いました。

大型台風21号が最も近畿地方に接近したにも関わらず、多くのお客様が危険を冒してご来場いただき感謝の気持ちでいっぱいです。
それだけ「平屋」に興味を持たれた方が多かったからでしょうか。最近若い世代の方にも「平屋」を希望される方が多いそうです。

それは核家族化と、少子化のためそれほど部屋数が必要でなく、ムダをなくして子供との距離を縮めたいと思われる方が増えているからだそうです。

しかし神戸のように地価が高く、平屋を建てるほどの大きい土地を取得するのが難しい方のために「平屋風2階建て」を提案させていただきました。これは2階部分を小さくして、残った部分で、おおきな勾配天井の吹抜と

下屋裏(1階の屋根裏)を大きく取り、一部を平屋にした間取りで、屋根ごと包む外断熱の効果が大きく発揮されます。
1階のリビングは17帖と当社の家の中ではさほど大きい方ではありませんが、天井が高いせいか広く感じます。
コンパクトながら、デッドスペースを有効利用した価値の高い設計手法になっています。

興味のある方はお問い合わせください。

さて、私が小さいころ(年齢がわかってしましますが・・・)家の周りはほとんど平屋でした。
私の父は何でも自分でしてしまうのが好きで、なぜか当時住んでいたのは借家でしたが2階を作ってしまいました。
階段というよりはしごで上がると一部屋だけありました。
部屋の窓から外を眺めると周りは平屋ばかりですので、ネズミ色の瓦が延々と連なり合っていました。そして遠くまで見渡せました。

私はその景色をみるのが好きでした。

日当たりサンサンで、真冬でも太陽が出ていれば暑いくらいでした。友達は2階のある我が家が珍しいらしく、皆で上がってうらやましがっていました。当時、庶民の日本の家は、畳の和室が2間ほど続いていて、その和室が、食事室であり、居間であり、みんなで雑魚寝をする寝室に変わる、そんな生活だったと思います。

玄関の土間が異様に広く、今でいう玄関ホールのような前室が広く取られていました。大抵の友達の家は、そこが、子供部屋になっていました。といっても個室ではありません。勉強机が子供の数だけ並べてあるだけです。

わが家では父がまた、前庭をつぶして子供部屋を作りました。結局父は2階を作り前庭に子供部屋をつくり、また、裏庭のたたきも部屋にしてしまいました。そのころのつつましい生活がなつかしく思い出されます。

亡くなった母によると、結婚当初から、父は「マイホームを建てる」と宣言していたそうで、そのために苦労をしてやりくりしてきたとこぼしていました。

小さい頃はよく、いろいろな土地見学に家族で連れて行かれました。どこかに連れて行ってもらった思い出といえば、土地見学だったように思います。ちょうど高度成長期時代でお弁当付の土地見学バスツアーのようなものだったように記憶しております。

小学校5年の時に今の家が完成し引っ越しました。今では築50年ぐらいになっています。
母が亡くなり、父は今年で91歳になり一人暮らしをしております。

私は母が存命中から介護付きマンションなどに住むことを勧ていましたが、若いころの家づくりへの思いや、子供たちの思い出のあるこの家でずっと暮らすことを父が望んでいると母から聞きました。

今では歩行もおぼつかなくなり、その頃の記憶も薄れてきているようです。
私も仕事もありじゅうぶんなことはできないのですが、介護の支援を受けながらできるだけ永くこの家で暮らさせるように見守っていきたいと思っております。