~親孝行~

2020年11月

11月3日は父の命日です。亡くなってから、もうすでに16年経っています。厳しい父でしたが、私のことを心から愛してくれました。母にいたっては平成8年に亡くなっていますから、24年も前になります。父と同じく私を愛し続けてくれた本当にやさしい母でした。そんな両親に私は親孝行と言えるようなことは何一つした記憶がありません。まさに「親孝行したいときに親はなし」と言われる通りです。

 一方、妻の両親は多くの病気を抱えながらも存命で現在、義父が95歳、義母が90歳になります。ともに瀬戸内海の全人口10数人の離島で暮らしています。義父は10年くらい前から認知症を患い、追い打ちをかけるかのように昨年からは光までも失いました。妻の話では食事の時以外は、ほとんど寝ているとのことです。義母も90歳の高齢に加え60代から足を悪くしており、まともには歩けない状態です。そんな義父母のことを妻はもちろんのことですが、私もいつも気にかかっています。小さな離島なので介護サービスを受けることもできず、かなりきびしい状況です。

8年前のことですが義父母は半年ばかりですが我が家で同居していました。しかし環境の違いに耐えられなかったのか、島に帰っていきました。私としては自分の実父母に対して何一つ親孝行をしなかったという後悔もあり、また義父母には私の若い時から色々とお世話になっておりましたので、できるだけのことはして差し上げたいという気持ちはずっと持ち続けていました。ところが私にとって初めての同居は正直かなりのストレスになっていました。それでも精一杯、対応したつもりでしたが、ひょっとしたら私のそんな気持ちを見透かされていたのかもしれません。ただ単に親孝行が出来たらというだけの安易な発想では、現実の同居生活と介護を確実にこなしていくことはとても難しいことであると思い知らされました。また数年前、義父にはこちらの施設に入ってもらいましたが、施設の方に「出たい、帰りたい」を頻繁に言うものですから結局、その施設も退所せざるを得なくなりました。そして今年は地元のすぐ近くの島の施設に入れてもらいましたが、ここも結局は出ることとなりました。そして今のきびしい状況です。今は妻と義姉が2か月に1度くらいのペースで島に帰って、食事、洗濯、掃除、片付けと親孝行していますが、妻も義姉も、ともに持病があり病院の関係で長くは居られないのが現実です。いわゆる老々介護ですが、妻や義姉だけに任せておけないので私もできることは全部やると決めています。

ところで私たちの世代でも、子育ては自分の老後の面倒を見てもらうためと考えている人々が結構いることを私たちは知っています。もちろん私の両親や義父母はそんな人ではありません。親は子が幸せな人生を送ってくれることを切に望んでいます。また子にとってはそのような人生を送ることが最大の親孝行であると思います。しかし私の周りに時々ですが、子は親の老後のために育てたと、本気で信じている人々がいます。とんでもない考え方です。子育ては損得でするものではなく、子育てそのものに喜びがあり、子がその親の元に生まれ、親は子に子育てさせてもらったことを感謝するのが本当だと思います。そして子は親に子育てさせたことで十二分に親孝行を果たしているのです。「子供は3歳までに一生分の親孝行をしている」と言われる通りです。それにもかかわらず、子供に自分の面倒を見てもらおうという厚かましい発想は、詰まるところ、親自身が惨めな一生を送ることになるのではと思います。人間は何も持たずに一人で生まれてき、何も持たずに一人で死んでゆくものです。家族に見守られながら旅立ちたいという人情は分からないこともありませんが、それは欲であり家族の犠牲を伴うものです。できることであれば、孤独の中に一人死んでゆくことを潔しとする覚悟を持ちたいものです。私にも二人の娘がいます。未熟者の父でしたが子育てを通して、少しは成長できたと思っています。それよりも何よりも子育てという人生最大の喜びを与えてくれたことに本当に心から感謝しています。そして娘たちは、きっちりと3歳までに、その一生分の親孝行をしてくれました。本当に有り難いことです。もうこれ以上、望むものは何もありません。    感謝合掌