ダイエット
愛犬アリスが2回目の脳梗塞を起こしたことは、この講で書きました。8月のことでした。今は、よろよろ歩きから、だいぶ回復しましたが、やはり以前と同じというわけにはいきません。特に階段を下りることは、まったく出来なくなりました。それと15歳という年のせいもあるのでしょうか、以前なら1時間以上でも平気で散歩していたのが、15分もすれば、家に帰ろうとします。それは致し方のないことですが、問題は歩く距離の減少とともに、私の体重が増加し始めたことです。もちろん、散歩の距離の減少だけが体重増加の原因ではないことは承知しています。しかし、アリスの脳梗塞発症と時を同じくして、体重がみるみる増加してきたところをみると、やはり私にとって運動が適正体重維持のための最も大きな要素であったことが、この度よくわかりました。
ですから、もし私が強い意志でもって適正体重に戻そうと思うのであれば、運動量を増やせばいいという、ただそれだけのことです。しかし、これがなかなか出来ないのが、私の弱点であり、私の人間としての徳のなさ、器量の小ささに繋がっているのだと思います。
思っていても出来ない、やろうと決めてもやらない、悪いことだとわかっていても止められない、知っているけどただ知っているというだけ、学んでも学んだだけ、とこういうのがとても多いなと、最近つくづく思います。昔、誰かから言われたことがあります。「お前は有馬温泉やな」私はその意味が分からなかったので尋ねますと「有馬温泉は湯だけや。そやから、ゆうだけや」どうやら有馬温泉は料金は高い、料理はまずい、サービスは悪い、だからまともなのは温泉のお湯だけである、湯だけ→ゆうだけ→言うだけ、言うだけで実行が伴わない、という意味なのでした。(有馬温泉の名誉のために言っておきますが、これはあくまでも俗世間のダジャレであり比喩であって、決して有馬温泉がそうだというものではありません)
でも、私は十数年前にタバコを止めることが出来ました。決して言うだけではありません。この時、私は誰かに禁煙を宣言したとか、そんなことはしていません。自分自身で強く決心したのです。なぜ強く決心したかというと、血を吐いて、命が惜しくなったからです。やはり私のような人間は何か衝撃的なことがないと、なかなか強い意志を持つことができないようですね。ここで問題なのは十数年前の私が、自分の命が無くなるかもしれないという自身の重大な損得にかかわるということでしか、強い意志を持てなかったということです。でも動機の純、不純はともかく強い意志を持てば、それは成し遂げることができる、ということだけはどうやら確かなことではないかと思うようになりました。
いま私は11月30日の就寝前の体重を72キロに落とすという目標を立てて実行中です。家でも会社でも公表しています。この講でもお約束します。弱い自分を拘束し、逃げ場をなくすためです。ちなみに、健康診断時に指摘されている理想体重は68キロです。まだ少し弱さがあるようですね。
お釈迦様の言葉「人はその思う通りの人になる」
松下幸之助先生「まず、そうしたいと強く思うことです」