成長

弊社の経営理念には「———-働くことの意義を学び、人間として成長していきます」との一節があります。小泉元総理は「改革なくして成長なし」を連発していました。私の社員への指示事項には最近「挑戦なくして成長なし、改善なくして成長なし、成長なくして存続なし」を末尾に書き続けています。どうやら人は成長という言葉が好きで、今の世の中に満ち満ちているように思います。

ところで、皆さんは成長って一体どういうことなのか、なぜ成長しなければならないのか、というようなことを考えられたことはあるでしょうか。私も今までそんなこと考えたこともありませんでした。ただ単に成長することは良いことだから、成長しよう、成長しなければならないとだけ考えていました。会社の場合、成長というとなんとなく、売上や利益や会社規模の拡大を連想しますが、こと人間に関して、成長するって一体どういうことなんだろう、どうなれば成長したことになるのだろうと、近頃なぜかずっと気になっていました。結構、自分なりに色々と考えましたが、考えても考えても明解な答えが見つかりません。そこで本を買いました。タイトルはずばり「成長するものだけが生き残る」(上原春男著)という本です。なかなか読みごたえのある本で皆さんにもお勧めしたいと思います。その本の序章に「なぜ成長しなければならないか」という一章がありその中で答えを探しましたが、答えらしきものとしては、「人間は本来、成長するようにできている」とこの一言くらいしかありません。たしかにその通りと私も思います。しかし、なにか物足りません。では、なぜ人間は成長するようにできているのか?実はその答えが欲しかったのです。本を読めば、成長しようと努力することが幸福につながる、また成長することをやめたら幸福にはなれないとあり、このことはよく理解できました。でも、やはり何か物足りません。そこでもう一度最初から読み直しました。

本の中ほどに、こんなくだりがあるのをご紹介しておきます。

『———じつは私は長年、学生相手にひそかに、その人の「やさしさ」を見る、ある実験を行ってきました。研究や実験で忙しそうにしている学生に、わざと「おなかがすいたから、パンを買ってきてくれないか」とお使いを頼みます。それに対して学生がどんな反応を示すか。そして、どの反応を示した学生が、将来どういう人間に成長していくか。それを長い時間かけて、かなりのサンプル数をとってきたのです。意地悪といえば意地悪な実験であり、忙しいときの依頼で頼むほうも迷惑は承知のことです。しかし、だからこそ、その反応でその人の能力や器量がわかりやすくつかめるのではないかと踏んでのひそかな試みで、学生たちはまったく気づいていないはずです。その結果はどうであったか。まず、学生が示す反応は、次のようなパターンに分かれます。

①    「はい。すぐ行ってきます」と二つ返事で速やかに席を立つ

②    「わかりました」とやりかけの仕事をすぐに一段落させてから行く

③    「これをしてから行きますから、少し待ってください」と当面の仕事を優先させる

④    いかにも気乗りしない様子で、黙ってしぶしぶ席を立つ

⑤    「なんで、私が先生のパンを買いに行かなくてはいけないのですか」と食ってかかり、結局行かない

この実験を始めたころの私の教え子たちは、今ではもう定年を迎える年に近づいていますが、それぞれの学生のその後の行く末を観察してみると、面白いことがわかります。①や②のような「やさしい」反応を見せた学生はほとんど、成績も伸び、優良企業へ就職し、そこでいい仕事をして出世し、満ち足りた人生を送っています。逆に、④や⑤のような反応をした人は、仕事を転々とし、あまり幸せそうに人生を送ってはいません。たかだか「パンを買ってきてくれ」という実験ですが、その返事によって、人に対するその人の「やさしさ」がわかります。そしてその「やさしさ」こそ、その人の度量や力量の潜在力、つまり将来の成長力を測るひとつの指標となるのです。—————–』

とても分かりやすい一節ですね。しかし、反論したいこともあります。

まず昔の私は確実に④か⑤であったと思います。まったく未熟でした。そのせいか、セレクトホームを始めるまでに会社を5回も変わっています。でも今、私はとても幸せです。私と同じような人はたくさんいらっしゃると思います。ですからこの著述は一般論として受け取って下さい。私が思うに著者は、もともと人間は成長するようにできている、だから成長することによってのみ幸福になれるが、人に対するやさしさのない人間は成長できない、と少し乱暴ですが超簡単にまとめてみました。たしかのその通りだと思います。

 しかし、くどいようですが私の疑問は、人はなぜ成長するようになっているのか、ということに尽きるのです。とても哲学的で浅学の私には荷が重すぎますが、一つだけ思い当たることがあります。飯田先生の教えです。飯田先生から学んだことを自分なりにまとめてみました。「人間の本当の姿は魂という意識体である。だから何度でも生まれ変わることができる。ではなぜ生まれ変わるのか。その答えは生まれてこなければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ生まれてくるのである。つまり死や病気や人間関係などの思い通りにならないこと通じて学ぶことこそが、人間として生きる目的であり意義であり意味でもある。ですから人間は学ぶことを目的として自分の意志で生まれてくるのです。もっと具体的に言えば、何かを学ぶために、自分の意志で親を選んでまで生まれてくるのです」

このもし仮説が真実だとすれば、人はなぜ成長するようになっているのか、その理由がわかってきます。なぜなら、自分の意志で、何かを学ぶために、いついかなる時でも幸福でいられる天国から、親まで選んでこの厳しい現実世界に生まれてくるわけですから、成長しようとするのは当たり前のこととなってきます。要するに人間は、成長することを目的に自分の意志で生まれてくるのです。そして成長するとは正に、学ぶこと、そのものであるといえるでしょう。それでは、なにを学ぶために生まれてくるのでしょうか。それは「信じること、許すこと、愛すること」につきるのではないかと私は確信しています。

  今の世の中、この厳しい競争社会でいったい誰が自分を助けてくれるのか、誰も助けてはくれない、自分ひとりの力で生きていくしかない、いやそれどころか少しでも油断すれば、足元をすくわれ奈落の底へ突き落される、だからだれも信用などできない、とこんな風に考え行動していると思える人たちが、悲しいかな、大勢いるように思います。でも、そういう生き方って本当に幸福を感じることができるのでしょうか。私は出来ないと思います。

 競争に勝って何を得るのでしょうか。相手を打ち負かし自分を押し通して、どんな幸せが待っているのでしょうか。そんなことで本当に心の底から喜びを感じることができるのでしょうか。今こそ、「信じること」「許すこと」「愛すること」を真剣に学び、少しでも実践するときが来ているのではないでしょうか。私は今そんな風に考えています。本の著者、上原先生が行った実験の①や②の人ように、喜んでパンを買いに行ける、損得を考えず、ただ人のためになるなら、人が喜んでくれるならと、素直に行動できる、そんな人になりたいと願ってやみません。

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