愚痴

6月、私にとっては米朝首脳会談よりも、大阪の地震や、新幹線の殺傷事件のほうが、はるかに衝撃でした。新幹線事件、犠牲者の梅田さんの勇気ある行動には、ただただ頭が下がるのと、はたして自分がそこに居合わせていたら、同じ行動をとれたであろうかという想いが今も離れません。そして18日には地震がありました。テレビは地震報道一色です。再々にわたり余震への警戒を伝えています。翌日は大阪で、大学時代の友達と恒例の集まりがある日です。夕食時、思わず妻に「あした大阪へ行くの、イヤやなぁ・・」と情けない発言してしまいました。仕事の関係上ある程度地震のことには興味があり、少しですが勉強もしました。もちろん阪神大震災も経験しています。だから余震が怖かったのです。こんな自分が新幹線でどうやって犯人に立ち向かっていけるのか、また、この講でいつも利他を説いているのは口先だけか、と頭の中は自責の念でいっぱいになりました。自責の念とともに、どうせ俺は弱虫や、と愚痴が出ました。

19日正午、いつもの難波の料理屋に集合です。夕陽丘の源聖寺で両親、義姉の墓参りを済ませ、観音様に手を合わせて、難波に定刻通り到着しました。今回は岡山のH君は病気のため欠席です。奈良のO君、大阪のU君と半年ぶりの再開です。地震、米朝首脳会談、新幹線殺人事件、お互いの家族、婿や嫁や孫、自分たちの健康問題と話題は尽きることがありません。それとともにビール、焼酎、日本酒とたらふく飲みます。お次は麻雀です。飲み過ぎで頭が回らないのか連続、奈良のO君がトップです。その時、愚痴が出ました。「この麻雀(3人打ち)はO君、お前のためにあるようなもんやな。お前には勝てんわ」そしてトイレに行きました。トイレに立つと便器の前に張り紙がしてありました。“強い麻雀打ちとは”とタイトルがあり3番目に『愚痴を吐く人はいません。その行為が自分の人格を下げることを知っているからだ。失敗は全て自分の蒔いた種だと思うべし』私は目が覚めました。愚痴を言って、問題が解決することもなければ、周りが愉快になることも絶対にありません。そんな当たり前のことが分からなかったのです。雀荘のトイレの張り紙の効果は抜群でした。

麻雀はそこから私が連続トップです。結局、7時まで半荘6回やって私がトップでした。

もちろんトイレに行ってからは、一言もマイナス発言はしていません。

昔、読んだ本でタイトルも忘れてしまいましたが、何をやってもうまくいかない日本人男性が、イスラエルを旅して、そこのおばあさんに『嫌なことがあったら、“ありがとう”と言いなさい』と教わり、それを実践し続けることで人生が大いに開けたという内容でした。“人生は苦である”釈尊はそう言いました。飯田先生は“思い通りにならないことこそ、この世で最も価値あることだ”と言われています。苦は嫌なことです。でもその苦が実はこの世で最も価値あることであるのなら、嫌なことに出合ったら感謝するのは特別なことではなく、普通のことなのです。愚痴を言ってはいけません。愚痴を言うような場面に遭遇したら『ありがとう』と言うのです。感謝こそが幸福の源です。何があっても、ありがとう。

いつも、そう言える人間でありたいと願って止みません。         感謝合掌

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