~山の向こう、アリス逝く~

人間は幸せになるために生まれてきた。私は長い間ずうっと、そう考えてきました。そしてそれは、違う意味で、その通りであると今も思っています。しかし以前の私は、幸せとは、一生懸命に努力して手に入れるもの(結果)であると考えていましたが、どうやらそれは間違っていることに気づきました。幸せは結果ではありません。

 ・この仕事がうまくいけば、大金が手に入る。そして、その時、きっと幸せになれる。

 ・長い間、子供が出来ない夫婦が、子供さえ出来れば、必ず幸せになれる。 

 ・今度の昇進で、部長になれるかも。そうなればきっと幸せになれる。

 ・新しい家が手に入れば、家族は絶対、幸せになれる。

 ・この戦いに勝てば、平和がやってくる。その時、国民はみな幸せになれる。

これらはみな、あの山の向こうに行けば、そこに楽園があり、皆、幸せになれる、という考え方と同じです。あの山の向こうに行っても、そこに幸せはありません。これと同じようなことは私たちの身の回りにいくらでもあります。○○になったら、○○を持てたら、○○が来てくれたら、○○に行けたら、という具合です。ひどいのになると、○○が失敗したらとか、○○が死んだら、などというのもあります。いずれも、幸せを結果と考える時に、陥りやすい考え方です。何度でも言います。幸せは結果ではありません。また将来にあるものでもありません。敢えて言うなら、結果を得ようと、一生懸命努力している過程そのものであり、その瞬間であると今はそう信じています。そして、今あるもの、今現在の状態を幸せと感じるかどうかの、心の問題であると思います。

 現在多くの人が、拝金主義に染まっているのではないかと危惧しています。お金さえあれば自分や自分たち家族は幸せになれると錯覚して、正当な手段を用いずお金を得ようとしたり、また本来、支払うべきものを合理化(2012年7月号参照)して、支払わず済まそうというようなことをよく耳にします。何が正当で、何が不当であるかは、なかなか定義づけは難しいかもしれません。でも本当の心の底にある内なる自分自身に問いただしたときに、その答えは自然と出ていると思います。

 2月21日の朝、愛犬アリスは死んでいました。この講に度々、登場したアリスも16年の生涯を閉じました。前日にペットショップで新しいゲージを購入し、またお風呂にも入れてあげました。認知症が激しく、夜鳴きを止めないので、獣医さんから睡眠薬をもらっていました。それも、1錠では効かなくなり、2錠でも効かず、最後になった日は3錠飲ませました。最初は鳴いていましたが、10分もすれば、眠ってしまいました。結局、そのまま目を覚ますことはありませんでした。でも、朝に見たゲージの中のアリスの顔は穏やかで、一瞬まだ眠っているのかと思わせるほどの安らぎに満ちた表情をしていました。

 亡くなって、約1か月が経ちました。私の体重は予想通り増え続けています。どんなに寒い日でも、どんなに暑い日でも歩き続けてこられたことは、まったくアリスのお蔭あると断言できます。動物にも魂はあり、生まれ変わることが出来るとワイス博士は書いています。私が今度生まれ変わった時は、きっと生まれ変わったアリスと散歩していることでしょう。

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