散歩

妻といつもの散歩をしていました。大津和の自宅から、長坂の山の里道を通って、伊川沿いを歩いていた時です。この日は肌を刺すような寒気もなく、歩いていますと、心なしか初春の暖かさみたなものを感じて、とても気持ちのよい散歩でした。

妻「お父さん(私のこと)、散歩に来てよかったね。こんなに暖かいとは思わなかったわ。それにしてもアリス(去年に死んだ愛犬)が死んでから、散歩に行く回数がめっきり減ってしまったわね」

私「そうやね。ほんとにアリスのお蔭で健康でいられたのかもなあ」

妻「私もそうおもうわ。…………….お父さん、私、少し腰が痛いから午後から、F先生(接骨院の先生)のところに行くわ」   時刻は10:50頃でした。

私「今まだ11時10分前やから、今からでも午前の診察に間に合うよ」

私のなにげないこの言葉が妻の癇にさわってしまいました。読者の方は、なぜ妻が怒ったのかお分かりでしょうか?私は、ただ単に妻が腰が痛いと言うので一刻も早く、先生の所に行って、マッサージを受けたほうがよかれと、そう思って言葉を発しただけなのです。

しかし

妻「お父さんは、いつも先のことばっかり言うのね。つまらないわ。どうして今を楽しむことが出来ないの?」

30年以上連れ添っていながら、どうして私の気持ちが読めないの。妻はきっとそうおもったのだと思います。つまり、久しぶりに二人で散歩に出た。真冬にもかかわらず、結構暖かい。そして今度、庭に植える木の話を、散歩コースの樹木を見ながら夫婦で会話する。このひと時、この一瞬こそが幸せというものではないの。それを、この幸せなひと時を、少しでも早く切り上げて、医者に行かせようとする。一体どういう神経をしてるのよ。これが妻の気持であったのだと思います。不覚でした。続けて妻「お父さんと由佳さんはそっくりね。

いつも心ここにあらず、よね。」と言い長女の子供のころの話をするのです。長女は小さいころ、妻の実家の島でよく散歩するのですが、いつも、最初、学校に行くのです。そして学校に着くや否や「神社へ行くの」と言い、次に神社に着くや否や「海に行くの」と言い、海に着くいや否や今度は「お家に帰る」と言い、決して、その場に長くいて遊ぶということがなかった子供でした。どうやら、長女は私の性格をそのまま受け継でしまったようです。

私は自分の欠点として、このことをよく認識しています。しかし、欠点と長所は紙一重です。私の心は、ここにあらず、そういう時もあります。でも、その代わり、私の心はいつも未来にあります。そして、いつも、夢を描いています。将来の計画を立てるのが大好きです。
先の計画を立て、それに向かって一歩一歩進んでいく、その過程が幸せです。
でも、妻と一緒に今を楽しむことも忘れないようにします。今があるのも妻のお蔭です。糟糠の妻をもっと大切にし、”心は常にここにある。そして今という一瞬を楽しむ”このことを新年に当っての眼目として精進していくことに決めました。皆さん、今年もよろしくお願いします。

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