ナンバーワン
ノーベル化学賞受賞の根岸英一先生(75歳)のインタビュー記事が朝日新聞の朝刊(12月7日)に掲載されていました。一部、抜粋してご紹介します。
聞き手「大リーグ・マリナーズのイチロー選手に共感を覚えるとか。」
先生「イチローは自分が持つ能力を冷静に分析して自分のやり方を追求しています。同じことを繰り返すのは実に難しいのですが、同じようにヒットを打ち続ける能力があります。本当はホームランも打てるのでしょう。けれど彼の結論は『ヒットが打てればいい』と。そのあたりに私との共通点があります。」———————————
聞き手「競争は大事ですか。」
先生「確かにゆとり教育もすそ野を広げるという意味ではいいのかもしれません。でも、人間の本当の力を引き出し、優秀な学生をさらに伸ばすには、何より競争が大事です。競争がないと、客観的な評価を通して本当に何が自分に向いているのか、自らをみつめる機会がない。かえって不幸。自信がある分野を見つけたら研鑽に全力を注ぐ。つらい道かもしれないが、楽しい道でもあるはずです。」
イチローがヒットを打ち続けるのも、根岸先生がノーベル賞を受賞できたのも競争があったからこそで、自分に向いている分野を見つけ出すためには競争が必要であると。絶対ではないにしても大部分の現実に当てはまるように思います。
以下は同じ頃、読んだ乙武洋匡氏(五体不満足の著者)の小説「だいじょうぶ3組」の一節で、小学校の5年3組の担任である主人公、赤尾先生と同僚で先輩の紺野先生がスマップの大ヒット曲”世界に一つだけの花”の歌詞についてのやりとりです。
赤尾「そんないい曲なのに、どうして紺野先生はあまり好きじゃないんですか?」
紺野「子供たちにとっても名曲か、ということなんだ。さっきも言ったように、もうオレらは頭打ち。でも子供たちはちがうだろ。あいつらには、まだまだナンバーワンになれる可能性がある。それなのに『ナンバーワンにならなくてもいい』って。はじめから逃げることを教えてどうする、と思っちゃうわけだよ」
赤尾「やっぱり、子どものうちはナンバーワンを目指すべきなんですかね」
紺野「結果的に一番になることが重要だとは思ってない。でも一番になろうと努力することは大事なんじゃないかな。その努力が自分の能力を伸ばすだろうし、逆に努力しても報われない経験を通して、挫折を知ることができる」
赤尾「挫折——-ですか」
紺野「挫折ってさ、オレは大事だと思うんだ。そりゃ傷つくのはしんどいけど、人間は挫折をくりかえすことで学んでいくんじゃないのかな。自分がどんな人間なのか。どんなことに向いていて、どんなことに向いていないのか、なんてことを」
————————–三杯目のビールでのどを潤わせた紺野が、ふたたび口を開いた。
紺野「いまの教育現場は、正反対なんだよな。子どもをいかに傷つけないようにするか。挫折を経験させないようにするか。まさしく『君は君のままでいいんだよ』とビニールハウスで囲いこんで温室栽培でもしてる感じ。こんなことしていたら、かえってあいつらが将来的に苦労すると思うんだけどな」
帰り道、ほおを赤く染めた赤尾は、ほろ酔いながら意外にもしっかりした口調で、白石優作(赤尾先生の補助員、赤尾が五体不満足なため)に語りかけた。
赤尾「今日の今野先生の話、このまえ優作が言ってたことと、ずいぶんかぶるとこがあったな」
白石「うん、『傷つくことをおそれて、チャレンジできない』とかね」
赤尾「でも、見方を変えれば、『子どもが傷つかないように、チャレンジさせてない』ってことなんだろな。学校が、教師が」
白石「たしかに、そういう言い方もできるね」
赤尾「優作、見えてきたよ。あの歌に対する、オレの答え。最終的に目指すのは、やっぱりオンリーワンの存在。でも、オンリーワンになるためには、きっとナンバーワンを目指す時期が必要だと思うんだ」
白石「なるほどねえ——-。じゃあ、どうやって子どもたちの目を『ナンバーワン』に向けていくのか。担任として、腕のみせどころだね!」————————-
はからずも、ノーベル賞の根岸先生と五体不満足の乙武洋匡氏は競争について、若干のニファンスの違いはありますが、ほぼ同じような見解を述べておられます。競争すること、一番になろうと努力することによって、自分の能力を伸ばし、何が自分に向いているのかが分かるのである、という考え方と捉えました。確かにそのとおりだと思います。極端な言い方をすれば、その競争が人類をここまで発展させてきたのだと断言できるかもしれませんね。
しかし、こと私に関して言えば生まれてこのかた、一度も一番になろうとか、競争に勝とうなど思ったことがありません。子ども時代の運動会のマラソンでも、スタートする時からどうせ負けるのだから何も必死になって走ることもないや、と考え先生に怒られない程度にしか走りませんでした。今、冷静に謙虚に自分を振り返ってみても、私は人生をただ何となく、その場その場をしのぐために生きてきたような気がします。少しは成長したかと思える今の自分から見れば、とても恥ずかしい情けない行動であったと反省しています。結果的にはセレクトホームという会社の社長をしていますが、サラリーマン時代から、必ず独立して会社を興すんだ、社長になるんだなど、欠けらも考えたことがありません。ずっと偶然に、たまたまそうなっただけだ、自分はなんか運がいいなあ、ついてるなあとしか考えていませんでした。
けれども、そのような考え方が飯田先生やワイス博士(アメリカの精神科医)の著書に触れることによって、一変してしまいました。今は、決して偶然そうなったのではなく、そのようになるべくしてなった、そのような使命を持って生まれてきたのだと、考えるようになりました。もし、人間一人一人すべてそのように使命を持って生まれてきているとすれば、なにも一番になりたいと思わなくても、自分に向いていることを見つけられることもあると思うのです。決して、根岸先生、乙武洋匡氏に逆らうわけではありませんが、競争すること、一番になりたいと努力することが全てではないと言いたいのです。
努力することの重要性は誰も否定できません。ただその努力に一番になるためとか、競争に勝つためとかという動機ではなく、これは必ず人の役に立つことだからとか、自分の使命なんだからという信念で臨んでいくことのほうが大切ではないか考えています。もっとも、ビジネスの世界とはまさに競争そのものです。私たちの会社も例外なく厳しい競争に曝されてきました。会社創業して15年の間に多くの同業者が市場から去っていきました。にもかかわらず、弊社がやってこられたのは、いうまでもなくお客様と社員とその家族のお陰であると断言できます。本当に心から感謝しています。でも、考えようによっては無意識のうちに競争に負けてはいけないと、相当な努力が少しくらいはあったのかもしれませんね。
私は今、家づくりの仕事を使命・天命ととらえていますから、そのことに努力することはさほど苦ではありませんし、むしろ楽しいときのほうが多いです。そういう意味では根岸先生の「つらい道かもしれないが、楽しい道でもあるはずです」のお言葉は当てはまっていますね。私はナンバーワンを目指しませんし、決して大きな会社にしようなどとも毛頭考えておりません。住宅会社が大きくなれば必ず、”早く、安く、簡単に”家づくりするようになります。それは私の目指すところではありません。またお金儲けすることも私の使命ではありません。しかし、会社を維持・発展させ、社員に人間らしい暮らしと成長してもらうため、お客様により良い住まいに住み続けて頂くための最低限のお金は必要ですから、それは適正利益として頂戴します。私が目指すのは、思い上がりかも知れませんがセレクトホームにかかわるすべての人の幸せ(人間的成長)です。いい格好するな。出来もしないことを言うな、とお怒りかもしれませんが、私の本心ですし、何よりも喜びなのです。少しずつ、本当に少しずつしか出来ません。それでも少しずつやっていきます。みなさん、応援してくださいね。
※ 参考
”世界に一つだけの花”の歌詞 作詞・作曲 槙原敬之
花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた 人それぞれ好みはあるけれど どれもみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて 争うこともしないでバケツの中 誇らしげにしゃんと胸を張っている それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる 一人一人違うのに その中で 一番になりたがる そうさ僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命なればいい
困ったように笑いながら ずっと迷ってる人がいる 頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね やっと店から出てきた その人が抱えていた 色とりどりの花束と うれしそうな横顔 名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた 誰も気付かないような場所で 咲いてた花のように そうさ僕らも世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命なればいい
小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから
ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン