~見返り~

妻からこんな話を聞きました。以前は自治会に入っていたのに今は入っていない人(自治会費を支払わない人)の言い分です。「会費を払ってきたが、それに見合うだけのことをしてもらってない」これが退会理由だそうです。これを聞いて私は唖然としました。そもそも自治会はモノやサービスの提供を受けるために入るものではなく、自分たちの街を少しでも良くしよう、そのために自分たち自身が集まりボランティアで活動する、そういう組織だと思います。月々200円の会費に対して見返りがないと主張し退会する、さびしい生き方をしている気の毒な人たちだと同情せざるを得ません。

 この講の2016年10月に“損得”というタイトルでも記しましたが、モノゴトを損得のみで判断し行動する生き方は間違いなく幸せとは正反対の生き方となってしまうと思います。損得だけの世界と思われるビジネスの世界でも、損得だけで行動すれば間違いなく破綻することになります。まして、家族、友人、近隣、その他のプライベートな関係において、その関係性を自分に見返りがあるかないかで判断するというのは間違っていると思います。それこそ大いなる損失です。

 仏教では人間には皆だれでも、仏性(仏になる性質、仏になっている状態)があると教えます。仏様は与えることはあっても、見返りを求めることは絶対にありません。人間にも仏様と同じ心があるというのです。有難いことです。例えば、外で人に道を聞かれたとき、その道を知っていれば、ほとんどの人は快く、その人に道順を教えます。その時、教えた人は見返りを求めるでしょうか。そんなことはありませんね。電車で老人や妊婦に席を譲ってあげた時、その人は見返りを求めるでしょうか。そんなことは絶対にありません。反対に譲ってあげたその人が、なにかしら良い気分になるのではないでしょうか。道を教えられた人や、席を譲ってもらった人から「どうも、ありがとう」などと言われようものなら本当に幸せな気持ちになれるはずです。「有難うとう」言いたいのは私のほうだ、きっと、そう思うはずです。

 松原泰道先生は著書“つまずくことが多い人ほど、大きなものを掴んで成功している”という長いタイトルですがその中でこう書かれています。「生きる目的とは他(ひと)の役に立つことです。人間はそのために生まれてきたのです。自分のためではありません。なかには自分の人生は自分のものとおっしゃる方がいるでしょう。もちろんそれはその通り。ですから自分の人生を通して、いかに他のお役に立つかを考えればいい。なぜならあなたはひとりで生きていくことは出来ません。他との縁があって初めて人生を育むことが出来るのです」この著書のタイトルには成功と記されていますが、この成功は経済的に裕福になるとか、社会的名声を得るとかという意味ではありません。自分に与えられた天命を知り、その天命を全うするため怠ることなく精進し、見返りを求めず、愚直に生きていくこと、それを成功と呼ぶのです。私もこの成功を求め精進します。応援して下さいね。