6月旅日記

私がこの講で旅行のことを多く書くせいか、「脇長さんはしょっちゅう旅行に行けていいね」とよく言われます。確かにそのとおりで1年に5~6回は温泉旅行に行っていると思います。この回数が多いか少ないかは大いに意見の分かれるところでありますが、若いときから旅に出ることが好きだったということは、間違いないと断言しておきます。
ところで私の学校時代の成績ですが、決して自慢できるものではありませんでした。特に高校に入ってからはクラス49人中、49位を5回の定期試験で3回もとりました。最高が46位でした。それでも、地理の成績だけは学年(約250名)でいつも3位以内でした。トップになったこともあります。先生から行ったことのない、見たこともない日本や世界のいろんな地域の話を聴く時は、まるで小さな子供のように目を輝かせて聴き入り、その地方への想いが日本中に世界中に飛んでいきます。そして話で聴いたその土地に行って、この目で見てみたいという強い想いは、大人になってからもずっと途絶えることなく今も存在しています。なぜ、そうなるのかは分かりません。きっと前世では小さな村から一歩も出ることが無かったのでしょう。
とそんな訳で、今月も妻と二人で湯村温泉に行ってきました。旅にハプニングは付き物ですが、今回もしょっぱなから特急”はまかぜ”が灘駅近くの事故のために明石駅を約15分遅で出発。急ぐ旅ではありませんから15分くらいの遅れは何の影響もありません。しかし浜坂行きが手前の香住止まりに変更になるとの車内放送を聴いたときには少し閉口しました。でも降りる予定のなかった香住の街を、待ち時間を利用して散策することも出来ましたし、香住から乗った各駅停車の2両連結の列車には、車窓から時折見える日本海とその海岸、港町漁港の懐かしい風景、有名な餘部鉄橋などをゆっくりと見せてもらいました。
旅館は定宿の井筒屋です。妻は4度目、私は3度目です。ここの魅力はその低料金の割には、設備が豪華で、庭が美しく、料理もおいしい、しかも源泉かけ流し、サービス、愛想の良さもまあまあです。皆さんにもお勧めします。私達夫婦にとって温泉旅館に行く最大の魅力は何といっても、時間が普段と違って、ゆったりと、ゆっくりと流れていくことの喜びです。そのためには車ではなく電車、バスを利用しての旅である必要があります。私を含め多くの人が、厳しい競争社会の中で1分1秒に追われ、仕事に家事にと忙しく行動します。私のような弱い人間(根はイラチです。仕事では約束の時刻の5分か10分前には着く様にしています。約束の相手が5分前になっても現れない時とてもイライラします。超わがままだと自分でも思います)は、時折そこから抜け出さないと身も心も持ちません。
旅館では十分にくつろぐことが出来ました。翌日、帰るべく湯村温泉のバス停からバスに乗りました。バスに乗ったのは私達夫婦以外に年配の女性が一人だけで、4ッ目位のバス停で降りると、浜坂駅に着くまでの約20分間、誰一人乗ってきません。田舎の美しい風景に包まれ、田舎(失礼かも)のバスに夫婦二人だけで揺られて駅に着きました。この日、浜坂の街はとても暑く一吹きの風もなく、6月半ばというのに真夏の陽が照り続けていました。民家の軒先に吊るされた風鈴の短冊も風に舞うこともなく頼りなげに垂れ下がったままでした。駅前のそば屋さん、お昼時というのに私達夫婦以外にお客さんはいません。時間は腐るほどあります。ざるそばをあてにして飲むビールの冷たさにまたまた幸せを感じ、生きていること、生かされていることにつくづくと感謝した一日でした。

スタッフブログ

前の記事

映画を見て
スタッフブログ

次の記事

アリスの脱走