~断捨離~

2022年4月

 妻が断捨離を始めてから数年が経ちます。何がきっかけかはよく知りませんが、お陰で家の中が随分とすっきりしました。私の物も、例えばスーツですが、10着以上あったと記憶しています。それが、今は略礼服を含め2着しかありません。ネクタイは妻曰く、100本あったそうですが、今は黒と白のネクタイを含め、5本しかありません。そのほか、娘たちのモノも、たくさん処分しました。そして今、妻は私のゴルフセットも処分しようと言っています。もう、3年以上ゴルフはやっていませんから、妻がそういうのも無理からぬことなのですが、これにはまだ抵抗しています。きっと妻は、今必要なものだけと、こんまりさん曰くの「ときめくもの」だけを残し、すべて廃棄処分するつもりだと思います。私も同感です。特に思うことは、私たち夫婦が亡くなった後、娘たちが困らないように、記念になるようなものは全て捨てていきます。稀に結婚式や旅行の写真を見ますが、自分の若かった時を懐かしんでもしょうがありません。過去は過去です。常に今を精一杯生きることを信条としている私にとって、過去の思い出に浸って生きていくのは私の生き方ではありません。ですから、これら記念の写真とかは、まだ捨てていませんが、妻の同意を得て近々に捨てるつもりです。お釈迦さまもこう言われています。「過去を追うな、未来を想うな」と。

 このように考えるようになった理由がもう一つあります。つい先日亡くなられた仏教学者のひろさちやさんのCDでこんな話を聞きました。死後の世界というタイトルです。CDの副読本から転載します。“三途の川を渡る手前に賽の河原があり、ここに幼くして死んだ子供たちが留め置かれています。それは親より先に死んで、親を嘆かせたために子供の罪が重く、三途の川の深い激流が渡れないからです。子供たちは罪を減じるために、仏塔を布施するつもりで河原の石を積み上げていきます。しかし、夕暮れになると鬼が現れ、その石を蹴散らかし子供たちをいじめるのです。空也上人が作られた「賽の河原地蔵和讃」の中で鬼が言っているのは、親の流す涙こそ、お前たちが苦悩を受けるタネだということです。死んだ子を思って親が嘆けば嘆くほど、子供の罪は重くなっていきます。私たちは亡くなった子供のことを忘れまいとしますが、その意味では早く忘れてあげたほうがいいのです。”この話は日本の伝承です。釈尊の教えではありません。ただ子供に限らず、亡くなった人のことをいつまでも思い続けることは、決して褒められた生き方ではないと思います。もし私が死んだあと、妻や娘たちが、私のことを忘れまいと、いつまでも悲しんでいたら、私はあの世で恨みます、悲しみます。それこそ老人ですが、三途の川を渡れないかもしれません。そのために私が生きてきた証は、少しでも生きている間に失くしてしまわねばならないと考えるようになりました。

 同じくひろさちやさんの話です。“娘を失った詩人の西城八十は悲しみのあまり、泣き暮れていましたが、ある日、夢に出てきた娘が「お父さんの涙が私の天使の羽を重くするから、私、飛べないの」と話しかけたので、以来、泣くまいと決意したそうです。親が悲しみを忘れた時、子供はお地蔵さんに救われます。子供たちの前に現れてこう言うそうです。「冥土では私がお前たちの父母になってあげる。さあ仏の国に行きましょう」と。

 今ニュースで3年前に行方不明になった小倉美咲ちゃんのことを放送しています。こんなことを言ったら、美咲ちゃんのお母さんに怒られると思いますが、美咲ちゃんが「お母さん、もうこれ以上、悲しまないで」と骨や靴を見せたのだと思います。

 もったいないからとか、親あるいは子供の思い出だからといって、モノをため込んだりする生き方は、私は違うと思います。モノに価値はありません。色即是空という仏教用語があります。目に見えるもの、形あるものは全て空(くう)という教えです。真理だと信じています。合掌色即是空