仏教

去年の8月に緑内障と診断されてから、読書量が少し減りました。医者から減らせと、言われたわけではないのですが、目を酷使することが、少し怖くなったのだと思います。そこで、CDを聴くことを始めました。CDは本よりかなり割高です。でも、目は疲れないし、何よりも運転中に聴けますから、すっかり気に入りました。「昭和の名僧」というCDを聴きました。内容は12人のお坊さんの話です。今月の講では二人のお坊さんの話を記します。

 最初は塚本善隆先生(浄土宗)の般若心経の話で、お経の最後に書いてある「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」読み方は「ぎゃぁていぎゃぁていはらぎゃぁていはらそうぎゃぁていぼうじそわか」となります。この意味はこうです。「行けよ、行けよ、その理想に向かって行けよ。しかも一人で行かずに、あらゆる人たちと手をつないで、共々に理想に向かって進んで行けよ。その理想が速やかに達成されるまで」

私は仏教の素養は皆無です。何も知りません。ただ人が亡くなったら、戒名をつけ、お葬式でお経をあげるのが仏教だと思っていました。お経の内容を知りたいなどと思ったことは一度もありませんでした。昔、法事かなにかの席で「色即是空 空即是色」の話を聞いたことがありますが、何のことやらちんぷんかんぷんでした。こんなこと知ったところで実生活には何の役にも立たないだろう。仏教とは、何かとてつもなく難しい哲学的なことを教えている宗教で、正直とっつきにくいなと考えていました。しかし、お経の一つである般若心経の最後だけですが、こんなに行動的で能動的で大切なことを教えているのかということを知って、すっかり考えを改めました。 二つ目は久保田正文先生(日蓮宗)の法華経の話です。

 昔、常不軽菩薩比丘(じょうふきょうぼさつびく)というお坊さんがいて、この方は儀式をしたり、お経を読んだりせずに、道で出会う人に対して「私は深くあなたを敬います。決して軽んじません。なぜかといえば、あなたは必ず菩薩の修業をされ、最後には仏になる尊いお方であるからです」と言って礼拝するのです。こう言われた人々は本当に有難く思い、自分で自分を軽んじてはいけない、また他の人に対しても軽んじてはいけないと、自分を戒めるのでした。しかし、なかにはそんなことをされて怒る人もいます。悪口を言われたり、杖や棒で叩かれたり、瓦や石を投げつけられたりもします。けれども、常不軽菩薩は決して暴力に訴えることなく、遠くに逃げ「我あえて汝らを軽しめず。汝らは正に仏になるべき尊い人である」と叫ぶのでした。

 私が緑内障になった理由がわかったような気がします。仏の教えのほんの一端でも垣間見ることができたわけですから。CDを買って聴いて、今度は本も買って少し読むようになりました。新しいことを知ることはまさに喜びです。何かで教わったことがあります。学びとは己の無知を知ること。自分は知っている、わかっている、という思い込みは成長の妨げになる。まず自分が無知であるという謙虚な姿勢こそが学びを深め、成長を促すということを。

これから少しずつですが仏教のことを勉強していくつもりです。機会がありましたら、又この講でお話しさせて頂きますので、みなさん読んで下さいね。

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