~8月に想う~

8月に入ると、日本は独特の雰囲気に入ります。広島、長崎の原爆記念日に始まり、ピークは15日の終戦記念日です。テレビは戦争をテーマにした番組が結構な数で放映されます。私は、15日正午に甲子園球場での高校野球の試合中にサイレンが鳴り響き、皆が黙とうするシーンが、なぜか昔から好きです。身内の戦死者は母方の伯父(昭和15年、中国にて)くらいで、この方にも会ったことはありませんから、自分のなかでは戦争による悲劇的な体験というのは、はっきり言ってありません。去年5月に広島の原爆資料館に初めて行って、その悲惨さに衝撃を受けた、それくらいです。それでも、なぜか8月は、戦争というものについて考えさせられる、そんな月ではないかと思います。

 そんな思いがあったのでしょうか。「永遠のゼロ」という小説を読みました。ゼロとは旧海軍のゼロ戦のことで、宮部久蔵というゼロ戦パイロットが、自分は絶対に死なずに家族の元に帰りたい、と言いながら戦っていき、最後は特攻で戦死するという生き様を、彼の孫姉弟が、生き残った人達から聴き取っていくという物語です。涙なしには読めませんでした。それとともに、日本の軍部やマスコミ(新聞社等)がいかに愚かで、卑劣であったかということに、怒りが込み上げてくるのを押さえることが出来ませんでした。この小説を読めば、絶対に戦争なんかやってはいけないと、だれもが思うことでしょう。物語の展開も小説として素晴らしい出来栄えです。多くは語りません。感動の一作であることは間違いありません。是非機会を作って読んで下さい。

 戦争に反対することは、今や世界の常識です。しかし、それでも世界では戦いが起こっています。多くの罪なき人々が、今も命を落としています。敵対するものにテロリスト、殺人者、侵略者の汚名を着せて、その相手を攻撃するのです。正義はそれぞれにあります。

人間は、相手が自分の思い通りに動かない時、相手に汚名を着せ、自分こそが正義であると声高に叫び、そして攻撃するのです。攻撃されるほうも同じです。少しでも攻撃されれば、増々、自分の正義を振りかざし、反撃に出ます。これは何も戦争だけではありません。私たちの日々の生活の中でも、仕事の中でも常に起こり続けています。その根底にあるのは、「自分は正しい、相手が間違っている」この一言に尽きると思います。争いの根本的原因は、全てこの一言に凝縮してもいいかと思います。 たしかに、明らかに相手が間違っていると断定してもいいこともたくさんあります。日々の生活で、物を盗む、人を傷つける、人を殺す、これらは明らかに犯罪ですから、議論の余地はありません。しかし、それ以外にも争い事は無数に起こります。私はこう考える時があります。日々の生活の中の数多くの争いごとで、心から、いや本当の良心から「自分が正しい」と信じて、相手を攻撃している人が、どれだけいるのかと思うことがあるのです。ただ自分が正しいと、自分に言いきかせているだけ、というのが本当ではないのかと思うのです。本当は分かっているのです。自分に理がないことを。義がないことも。そして徳がないことも。それでも攻め続けるのは、自分の弱さを、自分の徳の無さを認めたくない、知られたくない、このような邪心がそうさせるのではないでしょうか。私は弱い人間ですから、決してそれを否定しません。強いことが弱いことに勝っているとも考えません。本当はみんな弱いのに、強がってみせる、この愚かな行為が、多くの争いの原因ではないかと、今はそう考えています。8月は、そんなことを想い起させてくれました。

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